まだロックが好き

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

まだロックが好き

アラサーです。 ふだんはサラリーマンをしています。 元バンドマンです。 高校から一緒の妻と、2014年に生まれた息子がいます。 趣味でまだバンドをやったりしてます。 まだロックが好きです。 そんな日記です。ブログではありません。 日記です。

ピザ奉行

 

せんじつコストコに赴いた。すでに日記に書いたが。その際、ちまたで評判のピザを購入し食すことに相成った。種類はシーフードと呼ばれるもので、魚介類がメインの具材であった。端的な感想であるが美味であった。


Sausage Pizza

※画像はflickrのものです。念のため。

 

巨大なピザである。径は40センチメートルほどあろうか。そのままの形体ではマイクロオーブンレンジ、通称レンジに入りきらないので、まずはそのピザを切断せねばならぬ、という合意が家庭内の会合でなされた。

 

「コストコ ピザ 切り方」とグーグルの検索欄にフリック入力すると、ベストな切り方というものがあった。スクエア型。つまり円のピザを四角形に分割するように、縦横均等にマスを作成するように切断する、というものだった。

私は哀れな人間がいるものだな、と思った。

 

ピザがピザたる理由はあのピザ切り。中心点から放射線状に切断するのがピザではないのか。ピザの耳をつまみ、ピザをたわませ、溶解したチーズとともに、とろけ落ちそうな具材を持ち堪えさせ、先端部からほおばるのがピザではないのか。ピザがピザ型でなければ、それはただのチーズ乗せ具材パンではないのか。

 

ピザトーストなるものが蔓延っている。私は叫ぶ。あれはピザ風トーストだ。ピザトーストというとトーストにピザが載っているべきではないのか。それはありなのか。ピザONトースト。お好み焼き丼、いやチャーハンかけご飯みたいなものではないのか。許されるのか。でもグラタンコロッケバーガーというものもあるし大丈夫なのか。この国の食文化はどうなってしまっているのか。

 

じぶんで書いているが、そもそもピザ風ってなんなんだ。ピザ風とはつまりピザ味。なんとなくわかるがトマトベースをピザ味とするのはピザへの冒涜ではないのか。ピザってもっとこう、たくさんあるだろう。ジュノベーゼとかチーズとか焼肉マヨネーズとか。しかもピザの文化はヨーロッパであるが、そもそもトマトというのは南米の野菜ではなかったか。大航海時代がもたらしたのは文化の混交と折衷、そして私のピザへの概念の混乱なのか。

 

世間的概念として「ピザ」というのはなんなのか。きっと一般的に円形のものを思い浮かべる人と、あのピザ切りされたもの、を思い浮かべる人がほとんどだとおもう。四角いピザはピザではありません。食べるのは便利そうですけどね。って、突然ですが問題です。さて、いったいここまでで何回ピザって書いたでしょうか?

 

鍋奉行ならぬ、ピザ奉行。そんなことばが脳裏をよぎり、私はピザへの思いを書いている。

 

2歳児のイヤイヤ期に対する秘技を開発した。

育児 まじめな話であるが基本的に私はまじめなのでふざけた話など無い

 

 

本能。欲求。信念。私心。我。

2歳児の心に蔓延する精神力が強すぎる。GLAY風に言えば「生きてく強さ」であると思う。社会的畜生である私は見習うべきであり、学ぶべきであり、尊敬すらしている。人間とは本来こうあるべきなのかもしれない。

 

イヤイヤ期。人はこれをそう呼ぶ。おもだって2歳児にみられる動向である。我が家の2歳男性保育園児も例にもれず空前絶後のイヤイヤ期。われわれ親は疲弊する存在である。

 

kids

 

ネットでちょこっと調べてみたが、イヤイヤ期対策として「子どもと向き合う」とか「自分の心に余裕を持つ」とか概念的なことばかりで、さっぱり役に立たなかった。実践的でない。ああいう啓発的な記事を書いている人はちゃんと子育てしたことあるのだろうか。

 

そこで私は開発してしまった。秘技を。特許も取得できるかもしれない。それをこの日記で公開している。無料である。私は神かもしれない。有難く思っていただいて構わない。カネはほしい。

 

イヤイヤ虫の登場

 

イヤイヤ虫。

この言葉でもうすでにアレかもしれないが、子どものイヤイヤの原因を昆虫の所業にしてしまう。これには2つのメリットがある。

 

メリットその①子どもの心に

 

感情は湧き出るものである。これは自分の意思とはうらはらに出てくる。子どものイヤイヤも実は自分の意志でなく、なんとなくイヤだ、という謎の感情がじわり、と湧いてくることから端を発する。

子どもが「イヤ!」と言ったとき、「あれ?イヤイヤ虫でてきた?」と言うことで、子どもの心理に「あ、これは自分の意志ではないんだな」という効果を生み出す。生み出ているかはわからないが、たぶんそう。そうするとお互いに解決方法を模索しようと歩み寄れる。

 

メリットその②親の心に

 

親としても「イヤ!」が、子どもの意思でない、ということがわかると楽になれる。少なくとも私はそう思っている。この子は別に私を困惑させようとしているわけではない、と思えるとまだ愛せる。愛こそはすべて、である。

心理的負荷とは思っている以上にクる。体力こそまず奪われる子育てである。そこで心まで疲れるとヤバイので私は昆虫にすべて責任を投げつけた。

 

イヤイヤ虫の摘出

 

上記はただの概念であり、実践的でない駄文。啓発的文章。えらそうなクソですね。ここからが本題です。

 

イヤイヤ虫の手術をします

 

さいきんは手術でいそがしい。子どもが「イヤ!」というたびに「あれ?イヤイヤ虫でてきたの?それじゃあ手術をします」と口上を述べ、くすぐります。いわゆるコチョコチョですね。子どもの身体を弄るのです。

 

実践結果は良好です。ケラッケラ笑ってます。わきの下や、おなか、陰茎などを「あれー?どこかなー?」なんて言ってこちょこちょします。足のうらも効果的です。

 

そのうち子どもは「いなくなった 」と言って命令に従ってくれます。さいきんではイヤイヤ虫の登場を示唆すると、「イヤじゃない」と言ってコチョコチョせずとも指示に従います。従順な2歳男性はそれはそれでつまらないですが。

 

総括

 

2歳男性は空想の世界で生きている。痛覚が魔法で飛翔すると本気で思っているおめでたい存在。しかしその空想に「イヤイヤ虫」を添付することでイヤイヤ期をちょっとしたイベントに変化させる。摘出手術と題したコチョコチョという名の親子スキンシップ。

さいきんでは「イヤ」と2歳男性が言うのが少し楽しみになっている。執刀医である私は緊急イヤイヤ外来で待機している。

 

しかし今朝は激烈に不機嫌だった我が家の2歳男性。イヤイヤ虫も通用せず、父は嫌われました。勝率は7割5分で勝ち越しですが、TPOは弁えたほうがいいかもしれません。

 

ポコペンを知らずに図に乗る木村文乃似の妻

ブログカンケイ 日記

 

妻が調子に乗っている。芸能人に似ていると言われたからだ。

ちなみにその芸能人とは木村文乃という女優。私はその人物を知らなかったのでスマホで検索したところ美人だった。しかし、まぁ、うーん、ぶっちゃけ、その、けっこう似ている。調子に乗っているのは私なのか。

 

ちなみにちょっと前はガッキーに似ていると言われ図に乗っていた。ガッキーの髪の毛が長かったころ。妻はほくそ笑んで報告してきた。まぁそれもわからなくもない、というのが私の所感だった。木村文乃と新垣結衣似の妻。やはり調子にのっていると思われそうだ、俺が。

 

妻なりに、この「似てる」といわれる要因が気になったようで自己分析してみたようだ。

するとどうやら、頬の面積と上唇のうすさ、が関係あるのでは?と帰結した。顔面における頬の面積のバランス。また、笑うと無くなるうすい上唇。なるほどなぁと思った。たしかに渦中の芸能人ふたりはその点で似ている。妻もそんな感じ。ただそれだけ。あんなに美人ではない。私にとって世界一美人だが、というフォローも入れておく。

ちなみに私はこの顔面のバランスにだまされ、妻は木村カエラに似ていると思っていた。リルラリルハのころ。昔はかわいかった。

 

調子とは加速度的に増長するもののようだ。

このとき妻のなかに慢心が湧いていた。

 

おそらく「ポコペン」という遊びはだいたいの人間が知っていると思われるであろう、いわゆる「缶無し缶けり」。ふっとポコペンに対する認識が不安になったのでちょこっとインターネットで調査したらばローカルルールとかもあるし全国的な遊びのようだった。よかった。私は間違っていない。

 

Zoey counting for hide and seek


しかし妻はポコペンを知らないようであった。「ポコペンポコペンだーれがさいしょにつっついたポコペン」のフレーズに、なにそれ、と返答された。衝撃だった。ちなみに妻とは同い年である。

 

このポコペンは私たちが小学生3年~6年くらいまでの間に流行していた。ギリ90年代といったところか。ポケモン並みのロングテールであった。とちゅうで氷鬼や高鬼などの鬼ごっこの派生が伝播したが、しょせんは一過性。ちいさな波紋をたててはいたが、結局ポコペンという本波にかき消されていった。

 

それを知らない妻。田舎の子だからだろうか、と思ったが、僻地での生活にコンプレックスのある妻。その逆鱗に触れぬようこの話題を黙殺しようとした。そのときである。

「田舎のあそびでしょ?」

妻の発言であった。こともあろうに自らの生誕地を飛躍させてきた。説明的な文章になるが、私は静岡市というシティに生まれ育ち、妻は焼津市とかいう漁船とカツオとヤンキーしかない漁村の生まれだ。都市の洗練具合では比較対象にもならない。ホモ・ハビリスとホモ・エルガスターくらいちがう。

 

なにが妻にそう言わせたのか。彼女も田舎と都市の差は認識しておるはずだ。

やはり前述の「木村文乃似事変」で妻のおごりに助走がついたようだった。「だってあたし、木村文乃に似てるもん」といわんばかりだった。それはまったく関係の無い話しだぞ、と思ったが私は押し黙った。そのときはポコペンに対する認識の不安があったし、これは泳がせておけばおもしろいぞ、と思ったからだ。

 

じゃあなにしてあそんだの?と問うたらば我が家の木村文乃は「こおりおに!」と答えていた。大きな都市でのちいさな波紋は、ちいさな集落で大きな波であったようだった。

 

そっか。こおりおに、俺もやったよ。なんて言っては気位を高く保たせたまま、なんとなく風呂掃除は妻にやってもらった。なんか知らないが合唱曲を口ずさんでいた。「たとえばきみがーきずついてーくじけそうーになーったときはー」ってヤツ。さいきんテレビの宣伝で流れてた。妻は調子に乗り、私の策略に乗り、さらには流行にも乗っていた。ポコペンの波には乗れなかったようだが。

 

ちなみに私は動物のコアラに似ている。うぬぼれも抱けない。抱くのはユーカリの木ですか。なんてね。ははは。

 

今週のお題「何して遊んだ?」

コストコに行くとアメリカ人になってしまう

日記 まじめな話であるが基本的に私はまじめなのでふざけた話など無い

 

このタイトルはだいぶ「あるある」だと思っているのですが、どうなんでしょう。

コストコというのは会員制のスーパーマーケットで、たぶんアメリカの企業が運営している。カナダとかだったらどうしよう。

倉庫みたいなところに風呂敷をひろげ、雑多に商品を陳列させて商いをしている。その商品ひとつひとつがかなり大量にパッケージングされ販売されている。ドクターペッパー30缶1500円とか。品物一個のコストはかからないのだが、なにせ大量なのでけっこうな金額を消費してしまう。ゆえにあそこは高級スーパーと言ってもよいのではなかろうか。

 

個人的にであるが、コストコの会員カードは自慢できるものだと思っている。だからサイフの見える場所に保管している。私は長財布を愛用している。折りたたみ式である。開帳し、メインの紙幣や硬貨を収納する場所とは逆のカード収納所にコストコの会員カードを収めている。そうするとサイフを拡げ金銭を取り出す際、コストコのカードが対面する人間に見えるようになっている。さりげなく自慢している。

 

日曜日にコストコに行ってきた。買い物であるが、あそこはただ買い物をするって場所ではない。擬似アメリカンになるために行っている。そのために年会費3900円を支払っている。アメリカ人になるにもカネがかかる。

 

コストコ札幌倉庫店

 

まずショッピングカートがでかいのが良い。商品が大量パッケージでなので大きいから必然的にでかいのだが、これが私の中にあるアメリカンな心を揺さぶる。映画の中の世界だなぁと感慨に浸ってしまう。シックスセンスだっただろうか、あの子どもがママの押すショッピングカートの中に入りスピードを楽しむ、というシーンがあるが、あれがいつも思い出される。

 

店内の様相もまたグッとくる。働いている店員様のコスチュームも徹底されている。ディズニーかと思う。ネルシャツにジーンズ、そしてスニーカー。そして品だしをしている人は主に原色が入っているパワー手袋をしている。これがまたいい。わかってる。バナナのはいったダンボールなんかを担いでる姿なんて必見だ。たまに黒人の店員様もいるのがポイントであったりする。屈強な男だ。めちゃくちゃハンバーガーが好きそうなのが良い。たぶん元海軍。

 

このアメリカの暮らしはマイハウスに帰ってからも続く。やはり食品類もデカイからだ。今回は牛豚混交したひき肉を2kg購入、ハンバーグにした。またさくらどりの胸肉は2,4kgあるがすべて粉をまぶしチーズを溶解させた溶きタマゴにくぐらせピカタ風にした。コストコで買ったものは洋風の料理になる。ちなみに人気商品プルコギも購入したが、この国際色豊かな感じもまた人種の坩堝感があってたまらない。まぁ単純においしいから買うのだが。

 

そのほかにもピザやドクターペッパーなども購入。ピザはシーフードをチョイスした。直系40cmほどあり1500円というのはお徳だが食いきれない。しかし、ほおばるピザをドクターペッパーで流し込むとき、私の中でいちばんアメリカを感じる。ザモーストアメリカンタイム。なんだか私はトムな気がしてきた。もしかしたらほんとはマイケルかもしれない。妻はジェニファー。息子はエヴァン。飼ってる犬はリッチー。

 

もろもろ購入で140ドルくらいをコストコに落としてきた。クレイジーだ。しかしこれは比較的安いほうだとアイシンク。すべてアフタークッキングしたらリフリジレイターに回される。冷凍庫はもうぱんぱんだ。ハッピーだぜ。年会費はかかるしプアファミリーにとってはかなりの痛手だ。だけど楽しい。マジエンジョイ。ファッキングレート。

 

ちなみに今日の朝メシは昨日の残りのピザであった。いかにもアメリカン。まだコストコの余韻を楽しんでいる。

カレーに学ぶおもちゃの在り方

日記 育児

 

インド人は日本のカレーをどう思っているのだろうか。インド人のカレー屋さんで販売されるあのカレーと、日本の食卓に並ぶカレーは、外見、味、匂い、雰囲気において別の料理でないのか。

ギリギリ「米にかけて食う」というポイントだけでインドから「カレー」の商号を貸していただいているのか?ちがうのか?ナーンはどこに行ったのか?ラッシーは飲むヨーグルトではないのか?

 

しかし、カレーの概念がすでに確固たるものとなっているニッポン。そしてその現代社会。インド人としても「それはそれでありじゃない?スパイス使ってるし」みたいな寛容な態度をとって頂いているのか?国際紛争は多様性の受け入れで成り立つのか?さすがはガンジーの国ということなのか?

 

息子におもちゃを買い与えている。これまた「買い与えている」というのも親としてのナチュラルな上から目線が入ってくるフレーズだな、親だからエライのか?なんて思いつつも、まぁ、アレは買い与えている。俺の稼いだカネだ。

 

jam

 

息子も2歳をすぎればオスとしての闘争本能が活発になる。破壊衝動。圧倒的な力への崇拝。暴力の美學。つまり、すごく乱暴なあつかいをする。おもちゃとか。

 

「こわれちゃうでしょ。だいじにつかいなさい。」というのは親の言い分であって、でもしかし、コレの所有権は息子にあり、さらにその所有者として息子はおもちゃをボッコボコにして使いたいわけである。

 

「こわれてもいいもん。」というのが息子の心情であるだろうが、しかし壊れたら壊れたでまた新しいものを買わなきゃいけないのは親である。なぜなら息子は無職。ふだんは保育園とかでぷらぷらしているロクデナシだ。つまり所得が無いのである。

 

 

これが裁判になったらどうなるのだろうか?所有している息子に分があるのではないか?親だからといって息子の所有物を監視管理する権利はあるのだろうか?

 

こういうときは息子の立場になって考えてみる。発想とはさまざまな観点から生まれるのだ。

 

私はさいきん家を買った。カスタマイズしたいなぁ、とか思っている。壁掛けテレビとかいいじゃん。お庭でガーデニングも憧れる。

そこでしゃしゃり出てくるのが、私の母である。

「アンタそんなのやめとき!」が口癖の母である。 私のやることにいちいち口を出してくるのが趣味。しかもすべて否定的にである。故に見事に私はひねくれた。

 

私としては私に所有権があるのだから私の好きにさせてほしいわけだ。母からは経済的な援助は一切ない。そこであーだこうだ、とおのれの経験からか知らんが壁に穴を開け空けるべきではない、とか、ガーデニングは虫がくるのでやめたほうがいい、とか言われたくないわけである。

 

私は母のようになりたくないな、と思っている、と、さりげないコンプレックスを吐露してしまったが。反面教師としては優秀な逸材である。

 

それと同じことを私は息子に言っているのでは?私は私の人生観を息子に押し付けてしまっている!ヤバい!このままだと息子が私のようなひねくれた人種になってしまう!あ、ヤバい!マジで!!

 

しかし問題はこのおもちゃは私が購入しているものである、ということであるが、しかし譲渡は済んでいる。書面は交わしていないが法律上ではおそらく息子に所有権がある。

こういう場合、ただしいおもちゃの在り方とはどうあるべきなのだろうか?親の言い分を優先すべきなのか、それとも息子の所有感を優先すべきなのか?

 

とりあえず、優しく寛容な人間になってほしい。インド人のような。だからおもちゃは優しく使うべき。わかった?

コカコーラを飲んでいたらペプシという開栓音にカマをかけられた

まじめな話であるが基本的に私はまじめなのでふざけた話など無い ふざけた話

 

勤務地にむかう道のとちゅうに自動販売機というものがある。

無人かつ自動で清涼飲料や水、茶、コーヒーを販売する、たて1830mm×よこ999mmの機械の箱だ。外気にさらされながらも商品を適正な温度にたもち、時節を問わずいたるところでユーザーにオアシスを提供する。粋である。

 

さまざまな企業がその自動飲料販売機に力をいれている。コカコーラ、キリン、ダイドー、中には大塚製薬なんて製薬会社も進出している。すでにレッドオーシャン。血で染まった海だ。

 

私の見受けるその販売機のメーカーはペプシという企業のもののようだ。機械のサイドに赤、青、白で彩られた丸型の家紋がそれを主張している。おもにペプシコーラという炭酸飲料水を生業にしている会社だ。

 

Pepsi

 

ちなみにこのペプシ、じつは世界の2大コーラ会社の一角。もうひとつは前述のコカコーラ株式会社である。両雄は民間人をも巻き込み、コカ派だ!ペプシ派だ!としのぎをけずる争いを日夜繰り広げている。死人も出ているという。

 

ちなみにであるが、私はコカ派である。コカ派の過激派戦闘員である。

ペプシ派に出会えばもうぼこぼこのタコ殴りにする。「味覚障害」というレッテルを貼りつけ、マウンティングに躍起になる。やむをえずペプシコーラが提供されたときには「こんなもん飲めるか!」と窓の外にほうりなげる。こぼれたペプシコーラは大地に侵食し、草木も枯らしてしまう。そう、ペプシコーラはだれからも愛されない。

 

そういったワケで今日もコカコーラを寵愛する。ゼロとかレモンとかバニラとか邪道。あんなもんはペプシといっしょにほうりなげる。また大地が枯れる、だれかの涙といっしょに。だから男の選択肢はただひとつ。無印赤ラベル一択である。

 

しかしわたしは気がついてしまった。

ペットボトルの開栓時、いつもの赤いキャップを反時計回りに回すと「ペプシュ…!」と小気味の良い音を立てたことに。

ペプシュ…!これはおそらくペプシのことである。私はこれほどまでに忠誠を誓ったコカコーラに試されている。カマをかけられている。それとも、やましい心のある私の問題なのだろうか?

 

コカ「…ペプシってだれ?」

私「……えっ?」

コカ「ペプシだよ。…知ってるでしょ?」

私「あぁ…あのペプシマンの?」

苦肉の銀男。語気が弱まる。

コカ「なにかあった?ペプシと」

なにを隠そう数日前、私は猛烈なのどの渇きに襲われ、その自販機で「ペプシストロング」を購入し飲んでしまった。遊びのつもりであった。

私「…いや、なにもないけど。なんで?」

キャップを握る手にあぶら汗がにじむ。

コカ「チェリオちゃんが一緒にいるのを見たって。ラインで連絡が来た」

思わぬ伏兵であった。まさかコカとチェリオが繋がっていたとは。私はライフガードを恨んだ。

私「うん…ちょっとね」

コカ「飲んだの?」

私「…うん」

コカ「…どうして」

私「…ごめん」

コカ「どうしてって聞いてるの!」

こんなに声を荒げたコカを見たのは2度目だ。ユーチューブでメントスを入れられていたとき以来だろう。私の鼓動は激しく脈を打った。

コカ「私だけだと思ったのに!!」

私「すみません」

本気で謝ったのはいつぶりだろう。レッドブル中毒になったときか。

コカ「いつもペプシをなげる姿、本気にしてたのに!なんで!?」

疑問か糾弾かわからない叫びだった。

私「………」

言葉がでなかった。謝罪すら受け入れられない状況だ、と脳内ではわかっていたのかもしれない。

コカ「もう、ほんと、信じられない」

私「………」

とにかく沈黙した。激しく揺さぶられたコカを鎮めるには、とにかく待つことが大事だと長年の付き合いでわかっていたからだ。

コカ「もう、無いから」

私「無いって?」

コカ「ほんと、つかれたよ」

そういってコカは台所に行き、流しの下から一振りの刃を持ち出した。

 

気が付いたときには終わっていた。

なまあたたかい感触だけが手のひらにあった。

 

 

覚醒すると、見知らぬ天井だった。

Dr.ペッパー「気がついたかな」

私「…ここは?」

Dr.ペッパー「病院だよ、きみは3日間眠っていたんだ」

私「なんで?」

Dr.ペッパー「チェリオさんだよ。救急車を呼んでくれたんだ。あと少し遅かったらいまここにこうしていなかったよ」

コカの性格を知っているチェリオは、私とコカになにかあるだろうと心配し、駆けつけてくれていた。

私「皮肉だな…」

Dr.ペッパー「ライフガードだからね。」

私「コカは?」

Dr.ペッパー「私はよく知らないがね」

 「それについてなんだが」

突然聞きなれない声がした。

こういうものです、と渡された名刺には国際警察の文字。名前はオランジーナというようだ。フランス人のようだった。

オラン「コカさんはこちらで身柄を確保させていただきました」

私「国際警察が…?なんで? 」

オラン「違法薬物…ご存知ですか?」

私「どういうことですか?」

オラン「コカさんは所持していたんですよ。それをね。」

私「そんなまさか」

オラン「血液検査でも陽性でした」

どうやら私がレッドブル中毒になったときのストレスで手を出してしまったらしい。私のせいだった。なにもかも。奥歯をかみ締める力も出なかった。

私「それでコカはいまどこに? 」

Dr.ペッパー「それはね…ここにいるんだよ」

私「病院に…?」

背筋が硬直した。

オラン「がぶ飲みしたんですよ。メロンソーダを」

がぶ飲みメロンソーダのオーバードーズ。コカは留置場の冷たい床で倒れた。

コカの集中治療室には無機質なデジタル音が一定のリズムを刻んでいた。それは緊張感のある安寧の音だった。

私「……コカ」

コカ「………あ…」

幸いにも意識は取り戻していた。

チューブの付いた樹脂製のマスクに覆われたコカの言葉は、それこそ吐息混じりで半透明だった。

コカ「ごめんね」

私「俺も…いや俺がだよっ!本当にごめん。」

コカ「いろいろ迷惑かけちゃったね」

声に出す言葉が前述のものと同じだと気が付き、私は躊躇った。

コカ「…あたし…変われるかな…」

私「…もちろん」

コカ「信じていいの?」

私「俺も変わるから」

コカ「うん」

乾いた頬にひとしずくの涙がこぼれた。

ねぇ。と言ってコカは続けた。

「もし変われたら、またあのお祭り、一緒にいきたいな」

私は、行こう、と一言うなずいてコカの手を強くにぎった。

 

こうしてコカは国際警察に連行された。

法廷に掛けられた。そこで命じられた薬物環境変換システム

Medicine

Environment

Transform

System

通称メッツの措置を受けるように、とのことであった。情状酌量の余地は、あり、とのことだった。

 

………あれれ。ちょっと待ってくれ。

「ペプシという名前ほど、炭酸飲料を開栓したときの擬音に近いものはない。」という思いから始まったんですが、なんだか長文になってしまった。どうした俺!?

 

でもこうして今日も生きている。

私の隣にはコカコーラがある。いやコカコーラはいつの間にかメッツコーラになっている。変われたんだ。

今日は前から楽しみにしていた三ツ矢祭だ。ほんと人生ってファンタスティック。

道作る

ブログカンケイ

 

Do It Yourself。

なんだかすこしエッチな響きがするなぁ。と、いつも思っているが、どうやら一般的にはそうでなく、いわゆる日曜大工ですかね。そんな感じになってます。でも直訳で「自分でする」ってなると、まぁ、邪ですか。

 

なにを思ったかさいきん、日曜大工がしたい。これは本当にしたい。

日曜大工には根本的に目的があるはずであって、机が欲しいとか、棚を増設したいとか、犬小屋を建てたいとかあるんだろうけど私が思っているのは、ただ単純にモノの構築がしたい、ということ。

 

つまりモノが欲しくて、モノをつくりたいのでなく、「つくる行為」を楽しみたいということです。

 

頭文字(イニシャルと読まない)をとってDIY。しかしこれ最近では実物を構築する行為をそう呼称するとともに、マインド精神、ようするにアティチュードとして捉えられているのでは?とも思うのです。

 

その姿勢を貫き、日本のインディーズシーンを構築したのがHi-STANDARD。さいきん加齢臭とおっさんパワーを溜めてまた活動し始めている。

そんなハイスタのアルバムに「MAKING THE ROAD」ってあるのだけど、これを訳すとすなわち「道作る」。

 

メイキング・ザ・ロード

メイキング・ザ・ロード

 

 

ハイスタは「できることは全部自分たちでやる」という冒頭のDIY精神でレーベルなんか作ったりCDを作ったりしているんだけど、その方法論が昨今のインディーズレーベルの礎を築いたんだね、ってすごく説明的な感じ。

 

しかしこのハイスタの「道作る」行為は、道を作ることがメインでなくて、つまり「目的地」への経路として切り開いた「結果の産物」であるので、彼らがもし「道を作るための道作り」を行っていたのであれば、ここまで大成することもなく、曲はクソ、演奏もクソ、歌詞はそもそもこっぱずかしいものだからノータッチ、みたいな感じで(つまり彼らの場合良い音楽 )を伴うこともなく、結局「道作り」も失敗に終わったのではないだろうか?

 

つまり、私の日曜大工がしたい、というのは上述の「道を作るための道作り」といっているバージョンであり、 このまま日曜大工行為を行うとすると、棒に釘がささった凶器や、木板と木板を組み合わせただけのまな板にさえ成り切れない制作物ができてしまうことになる。ようするにゴミを作ることになってしまう。

 

ゴミを作る、とはそんな、殺生な。たしかにすべてのものは結果としてゴミに帰するが、生まれた時点でゴミ。いやいや、切ない。やりきれない。

 

イヤ待てよ、結果としてゴミ。これは有機生命体として生まれた運命的な帰結であり、人生、殊更に”いのち”を物語るうえで最高に達観した感じになるのではなかろうか。

 

「結果、すべてゴミです。」

なんだろう、これは釈迦思想にも発展する気がする。

 

「すべては宇宙の塵。」

神の発言。そんな気がする。

 

「生まれた時点でゴミです。」

聖書に書いてありそう。イエスの言葉。

 

日曜大工であたらしい宗教団体が発足しそう。清水ふみか、入信しないかしら。

ということで日曜大工を始めたい。ついでにマギーと不倫したい。

 

今週のお題「新しく始めたいこと」