まだロックが好き

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まだロックが好き

アラサーです。 ふだんはサラリーマンをしています。 元バンドマンです。 高校から一緒の妻と、2014年に生まれた息子がいます。 趣味でまだバンドをやったりしてます。 まだロックが好きです。 そんな日記です。ブログではありません。 日記です。

アームレストは下げて帰ってくれ

 

昨今のイス業界は椅子に欄干を付属させることが流行っているようで、だいたい椅子には腕の休息場、通称アームレストなるものが存在する。これはたしかにあると便利なのである。

 

しかしこのアームレスト、使用するさいに問題が2点ある。

 

1点目は私はそんなに問題視してないからさらっと書くけれども、アームレストに腕をおいて会話をするとじゃっかん偉そうにしているように見える、威風が漂う、ということである。

アームレストに乗せる人体の部位は基本的に手首から肘までの部分である。これをアームレストに乗せる、ということはつまり胸を広げるという状況であり、さらには手の甲がだらりと下がり、リラックスふう、畢竟、視点を変えるとだらしなく見える。この体位で上司などと会話をすると、「こいつ俺をなめた態度で会話している」と思われる。ということである。

 

これは実際に私が言われたわけではない。ただ私が新米社員と話していて思った。まぁべつにいいけど。いっぽう私は常に最悪の状況を想定して日々暮らしているのでアームレストに腕を置いて上司と話すことはしない。もしアームレストを使用するならば、アームレストを手のひらで包み込みきつく握り締め、肘は後方に突き出し、腕をこおろぎの足みたいな三角の形態になるようにして前傾姿勢を保ち、上司のありがたいお言葉をちょうだいするようにしている。

 

問題は2つめである。わたしは憤慨している。それが今回の表題「アームレストは下げて帰ってくれ」である。

 

アームレストは伸縮タイプのものが多く普及している。そんな気がする。そのアームレストが高く伸びていると、机の天板部分にちょうどよく接触する。すると以下のようになる。

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机に、はいんないのである。

このアームレストさえ伸びていなければ以下のように収まる。

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ほんらい机と椅子とはセットである。別々にうまれたってのちにツーマンセルを組むのである。だから椅子は机に収めるべきではないのか。刀は鞘に、クッキーはお菓子棚に、カイヤは麻世に、椅子は机におさまるべきではないのか。机に椅子をしまわないなんてお育ちが知れますわ。

 

ではなぜ、かくなる苦言を呈すのか。と問われれば、これには切実な問題が関わってくる。つまり通路に椅子が飛び出してじゃまになる、ということである。

通路に椅子が飛び出してじゃまになる、ということはどういうことか、というと、通路とは読んで字のごとく「通る路」なわけで、これが「椅子置場」であれば私は苦言を呈さない。呈さないし、そこで働くのは椅子職人さんであり、私はなんの技術ももたないサラリーマン。だから「通る路」である以上そこには人間が歩行するわけであって、そうであるならばひと一人が通れる導線というのは確保すべきである。そういったものごとの想定まで教育しないといけないんですか。

 

弊社が狭い、ってことも原因かもしれない。しかしそこれはモラルの問題ではないか。足元には屑籠や資機材ダンボール、さらにその上に資料を積み重ねている人もいる。ただでさえ狭いんだ。そこはおたがい歩み寄っていこうじゃねぇか、と言いたいが、椅子はふつう机になかに収めるもんだ。でないと人が通行できないでしょう。あほか。

 

これはアームレストだけに言及できることではなく、椅子の高さにも言える。なぜならそれらを高くしたままだと机に椅子が納まらないからである。つまり私は椅子はきちんと机に収めて帰りましょう、と言いたい。

 

でもしかし、なぜ人はアームレストを高くしたまま帰るのか。

それはおそらく、そのアームレストの位置というのは個人の中で再考に再考を重ねたマイクロミリメーター単位の絶妙な位置であり、それはまるでブログのカスタマイズのように一度崩したらもう元には戻れない位置であるのであろう。

足がけ3年、ようやく手にしたこのアームレストの位置。来る日の来る日もアームレストの位置に悩まされ、休日だってアームレストのために出社した。もちろん休日手当てなんてでない。これは自己責任なのだ。そうしてある日偶然、なんとなくいい感じのポイントがみつかった。なにをするわけでもない。ほんとうになんとなく。なんたる僥倖、偶然の産物、棚からぼたもち、くだいて言えば超ラッキー。もう一生この位置は見つけられない。だからもう一生うごかさない。ってかむしろもう座らない。って感じで、そう考えると、あー、元に戻さなくてもいいかな、なんて慈愛の心が目覚めてくる。そんな月曜の夕刻です。

学校教育はまじで「ボールペン」を導入することを検討すべき

 

息子の保育園の連絡帳を書いている。

なにを食べたとか、何時に寝たとか、おうちのでの様子とか。この「おうちでの様子」というのに難儀している。というのも、文章にせねばならないからである。なぜ文章にせねばならないと難儀するか、というと私の書いた文字はとてもへたっぴだからである。

 

とにかく「ひらがな」が難しい。なんなんだあの曲線は。バランスは。「を」なんてじっさい「ち」と「と」を一緒に書いているようなもんですげえむずかしい。しかも「を」って助詞として使用頻度が高い。対して私は「め」とか「ぬ」が得意である。「を」の替わりに「め」が助詞だったらなーと思う。願う。「今日は公園で鉄棒しました」って具合に。なにいってんだこのおっさん、とか思わないで欲しいですが。

 

意外と書きやすいのが漢文字である。通称漢字。舶来文字。画数が多いとなんとなくのバランスでごまかしが効くことに気がついた。たぶん漢字を発明した人はひらがなを書きたくなくて漢字を発明したんだと思う。

 

しかし聞いてほしい。言い訳をさせてほしい。へたっぴなのはボールペンという手段を講じたときのみなの。包み隠さず話すならば私は書道の腕前は確かなの。忘れたけど段とか持ってる。でも弘法は筆を選ばない、っていいますよね。言いますけど弘法大師だってきゅうにボールペンで書け、なんていわれたらたぶん下手糞ですよ。

つまり、大人になって急にボールペンを使う機会が増えたことに私は問題意識をもっているのです。

 

公文書にも使用できるボールペンが社会で使用される理由はわかる。消せないからだ。消せる奴もでてるみたいだけどあれって公文書に使っちゃいけないんでしょ。

この消せないボールペンを使用するというのは「働く」ってことにおいてとても哲学的だなと思う。つまり「消せない」ニアリーイコール「ミスを誤魔化せない」ということであって社会人たるもの、小さなミスでも命取りになるよ!ってことを、ボールペンが物語っている。

 

しかし我々はボールペンビギナーである。義務教育では黒鉛、つまり媒体としてはえんぴつ、シャープペンシル、ロケットえんぴつなどを使用しており、ボールペンにおいては知っているけど使ったことはない、という男性にとってのブラジャー、オートマのニュートラルギア、冷蔵庫のいろんな機能をもった謎の小部屋みたいな感じで使い方なんてわかんないのである。そんなもの説明書なしに使えるかよ!

 

だから学校は無駄にえんぴつなんか使わないで一発目からボールペン縛りをすれば良いと思った。思ったゆえに主張している。だってそしたら日本中みんなの字がきれいになって、字がきれいだと心まできれいになって、心がきれいだと平和になって、ってな具合になって天下は泰平となるわけである。なんだか自画自賛だが、たいした演繹だな、と思った。

 

そんなわけでさいきん夫婦でボールペン字を練習している。

30日できれいな字が書けるペン字練習帳 (TJMOOK)

30日できれいな字が書けるペン字練習帳 (TJMOOK)

 

30日で、ってとこが懐疑的だが、なにごとにもチャレンジしていきたい。ってか字が上手になりたい。そんなこんなでやっている。やっているけど4日目の昨日はさっそくさぼった。成果はまたブログで報告できたらいいな。

みんな静岡おでんにだまされてないか

 

テレビで芸能人が静岡おでんとかいう食い物を口に運んでいた。私はなんだか、アフリカに行って土着民族に薦められるがままタロイモを練り固めたやつを口に入れられる世界うるるん滞在記のような錯覚をおこした。だってあれってそんなうまいもんじゃない。

 

私が誕生育成された土地は静岡である。上京してからもう10年以上経つ。そしたら風の便りで声を聞いた。それは「静岡がおでんの国になっている」と叫んでいた。いつのまにか「しぞーかおでん」とか言いはじめていた。私は恥ずかしくなった。名物におでんをチョイスするセンス。みかんは愛媛、茶は京都、富士山は山梨に剥奪され残ったものは「おでん」。そして「しぞーか」ってネーミングのセンス。たいへんな恥辱を覚えた。

 

上記で「うまいもんじゃない」と書いてしまったが、たしかに味覚の嗜好は人それぞれである。パクチーをうまいと思う人もいれば、まずいと思う人もいる。好きはそれぞれで持っていていいと思う。クラッシュの名盤は一般的には「ロンドンコーリング」だが、私は「サンディニスタ」が一番好き。そんな具合に、好きには個人の定規がある。だからすみません。言い換えさせて下さい。「静岡おでんってそんなに名物になるもんじゃない」と思うのです。

 

静岡人にとって「おでん」とは呼吸なんだよ。勝負時、心身を落着するためのはじめの深呼吸みたいなもんなんだよ。そういうもんなんだよ。

 

私は幼少期、祖父母の家の近場に「とり福」という大衆食堂があり、そこによく足をはこんだ。そこは定食、焼き鳥、魚がおいしく食べられる地元民に愛される場所だった。私とおでんの出会いの場所でもあった。「静岡おでん」が一般化している今、説明不要であると思われるが、静岡のそういうことろにはおでんが常備されている。とり福も例にもれず常におでんが湯気を立てていた。

 

とり福に着く。まず注文をする。料理が来る前にじいちゃんの注文した焼酎が運ばれてくる。私のコカコーラも運ばれてくる。そしたらおでんのプールに向かう。黒く煮え立つ煮汁の端には茶色い灰汁が踊っている。どれでも一本80円(60円だったかも)。おでんを引っ張りあげる。こんにゃく、たまご、だいこん、牛スジのアラカルトを作る。渋みのある煮汁の香ばしいにおいが食欲をそそる。お好みでだし粉をかけたりお味噌をかけて食べる。しかし子どもの私はだし粉が苦手だった。なにも付けなくでもうまいのでそのまま食べていた。それを食べて料理が運ばれるのを待つ。おでんとはそういうもの。

 

高校生になると祖父母ととり福には行かなくなった。友人たちとの付き合いが増えるからだ。高校の近くの「大やきいも」という甘味処があった。大やきいもでカキ氷を食べるのがちょっとしたイベントだった。しかしそこにも「おでん」は在った。漆黒の煮汁の中で、しづかに沈殿するおでんもいれば、たのしげに遊泳しているおでんもいた。「おでんのある大やきいもでカキ氷を食う」というのもなんとも混沌とした一文である。

 

しかしこれが、私と、ひいては静岡人とおでんの距離である。

 

畢竟、私が言いたいのは「おでんはメインじゃない」ということである。メインに据えて食うもんじゃない。腰を据ええて「さぁいただきます」ってもんじゃない。ちょっと小腹のたしにひとつまみいただきますか、ってな具合の食べ物なのである。なんとなくそこにあるから「つなぎで食う」ってものなのである。でも、 いつでもそばに居てくれる食べ物なのである。「おでんがそばにいる」というのもなんとも迷乱する一文である。

 

メディアで静岡おでんが取り沙汰されると、なんだか恥ずかしい。それは同級生だったやつが芸能人になってしまったような感覚がある。液晶画面の向こう側。テレビジョンの中ではにかむおでん。おまえそんなやつじゃなかったじゃん。もっとおちゃらけた気軽なやつだったじゃん。勉強とかぜんぜんできない芋だったじゃん。そんなに演技もうまくないのに、なんで佐々木希の隣にいるんだよ。と、嘲笑交じりに罵倒したくなる感じ。それは嫉妬なのかも。

 

そんな感じです。私は静岡おでんを食べて「うまい!」とか言っている人を見ると、たいした実力も無い役者を「自然な演技で素晴らしい」とか言っているふうにきこえるのです。だってあんなのただのおでんですよ。それはおでんの延長でうまいだけであって、おでんと牛丼比べたら、ぜったい牛丼のほうがうまいですって。だから静岡おでんを食ってうまい、とか言っている人は基本的に信じられない。ただ「名物」というスパイスを感じているだけにしか見えない。

 

それでも私はとり福に言ったらおでんを食べる。大やきいもに行ったらおでんを食べる。それはみんなが食べる名物「静岡おでん」なんかじゃない。いつもそばに居てくれた、あの「おでん」だからだ。

静岡おでん 3パック

静岡おでん 3パック

 

 

おっさんのくしゃみは何故でかいのか

 

車内でなにかが爆ぜた。炸裂した。テロか?と私は訝った。それほどの轟音が響いたのである。場所は高崎線直通上野東京ライン車内。しかし車内は妙に落ち着きをはらっていた。世界はなにごともなく回っていたのである。

 

それは咆哮であった。男の咆哮であった。私は気がついた。これはおっさんのくしゃみだ。脳内の整理に時間はかからなかった。安堵とともになにかを期待していた自分を恥じた。

 

くしゃみの擬音として一般的なのは「はっくしょん」である。これほど気持ちよく「はっくしょん」という人間も少ないが「はっくしよん」は定着している。しかし男の咆哮は文字にすると「あ”-!!」であった。これは本当にくしゃみなのか、と私は疑問符と感嘆符、どちらをつけてもしっくりくるこの一文を考えていた。

 

刹那。 

 

「あ”ー!!」「しょん」「ずっ」「ん"ん"」

擬音にすれば意味のないその文字が再度響いた。2度目のそれは注釈のようにくしゃみとしての残骸を置いていった。そして私は釈然としたのである。あれはやはりくしゃみだ、と。

 

すると設問②がふいに頭に湧いた。どうしておっさんのくしゃみは声がでかいのか。私はその答えを探そうと読んでいた本を閉じ、思慮にふけった。

 

咆哮は雄雄しいイメージが付きまとう。ライオンキングがあげるやつである。しかし、くしゃみを咆哮と呼ぶのにはいささか抵抗がある。咆哮には強い意志が汲み取れるが、くしゃみはただの生理現象だからだ。それはたしかに野太く響く声であった。たくましくも気高く叫んだ濁音であった。叫んだ。これは叫んだ、という表現が正確ではないか。そう思った。するとおっさんはただくしゃみをしたのではなく、叫んだのだ。もしくは、くしゃみの体(てい)を装い叫んだのだ。 

 

なぜおっさんは叫んだのか。というよりなぜ人は叫ぶのか。人は叫ぶ。それは主張、誇示、証明、抵抗、発散、非情、歓喜、発狂などが含まれる。しかし真意。それは溜め込んだ自分という存在を解放する宗教的儀式である。

 

おっさんのくしゃみが叫びになったこと、否、おっさんがくしゃみを叫びとしたことの意味は「自己の存在の解放」である。畢竟、おっさんはその瞬間「生きている」と叫んだのである。

 

「おっさん」という男性の進化過程における形態には強い哀愁が薫っている。毎日を満員電車の移動で通勤し、会社に着けば上からも下からも圧力をかけられる。昼餉に出かけようも、うまい店は軒並み小洒落たファンションランチに鞍替えしている。つまり居場所がない。くたくたになって帰宅する。待っているのは洗い物と風呂洗浄。休日は「家にいるのが邪魔」と言われ、ときおり家族の行楽を提案するも邪険に扱われるのみ。主張は虚空に消えるのである。

 

だからおっさんは叫ぶ。それは今を生きる、ということである。抑圧されたこの満員電車の空間で、生理現象という名目の免罪符を手にする。そして自分を解き放つ。それはバランスである。この世の中を生きていくための心のバランスである。瞬間を誰も責められない。それは人体の自然現象であるからだ。その瞬間、おっさんは自由になれる。そこにあるのは築き上げてきた過去ではない。取り繕うべき未来でもない。おっさんは今を生きる。今を叫ぶ。リアルがそこにあるのである。まじエモい。

 

そう自己の結論が出た時、途轍もない嫉妬が内側から生まれた。それは私を動かした。

 

「おれも今を生きたい」

 

私ももうおっさんの域に足を踏み入れている。腿やふくらはぎの血流がうまく循環しなくなるのでスキニーパンツはもう履けない。それはおっさんの指標でもある。しかしまだいい格好をしたい。しかし脚に残る倦怠感を考慮すると履くべきではない。どうすればいいのか。鬱憤が溜まる。それを吐き出したい。その気持ちを叫びたい。俺に、今を、生かしてくれ!

その時である。私の鼻腔をくすぐる感覚が起こった。衝動が私を襲う。肺の底から込み上げるものを頭頂部から助走を付けて放つ。

 

そして私は叫んだ。今。

 

 

いつもの駅に着いた。閉ざされたゆらつく車内の長尺シートを蹴り、コンクリートのホームへ駆け下りた。

四月の柔らかい風が鼻腔に薫った。

 

母子家庭で育った男性の性格形成について

 

「貴殿以上に人格の闇黒めいた人間をお目にかかったことがない」

というのは妻から私への最大の賛辞である。

 

くだけた表現を使用するならば「おまえ、めっちゃ性根わるいわ」ということである。であるがしかし仕方ないと思っていただきたい。なぜなら私は母子家庭という複雑な、いや逆に言えばとてもシンプルな家庭環境で育成されたため、一般的な心の素養がなされていないのである。父と母、両人からほくほくの愛というのを受けていないのである。

 

どのように性格が破綻しているのか。妻曰く、私の発言動の根っこには「人を小ばかにしたような心情が表れている」とのことである。つまり「プライドが高く自分を高尚な人間だと思っている節があり、平身低頭しながらも裏では高い場所からものを言う」とのこと。それを聞いて私は唸ってしまった。うーん、ザッツライト。

 

たしかにそうである。そんなかんじのときもある。しかしそれは自己防衛である。なぜなら私は卑下されて生きてきた。母子家庭で貧乏だったからである。なので人生のさまざまなタームで小ばかにされてきた。小ばかにされたらストレスが溜まる。ストレスが溜まったらたいへんである。そのストレスから身を守るための自己防衛である。

 

小学校などでは同級生にばかにされることはなかった。私は陽気で人気ものだったのである。しかし担任の先生などからどぎつい蔑視をされた!、と、そんなことも無く、逆に過剰な保護を与えられた。それがよくなかったと思われる。「こいつんちは母子家庭だから仕方ない」みたいな。なので私は外聞無く露呈するが小学校のころ、宿題というものをまるでやったことがない。勉学のセントリーがいなかったのである。

 

以上の待遇がなされると、俺はスペシャル、という気持ちが浮かぶ。俺はスペシャルだから仕方ない。スペシャルだから許される。スペシャルだから俺は怒られない。そう思い、母子家庭を盾にして生きるようなったのである。

 

その一方でたまに感じる大人の悲観のまなざし、というものに自分が追い詰められる感覚もまたあったのである。

子どもというのは敏感である。私も子どもが生まれてわかったが、子どもというのは人心の醸しだす空気というのを察するのが上手である。私は小学校のころ周りの大人たちが抱く悲観の心というのを感じていた。それはいま思えばきっと「慈しみ」なんだろうけど、当時の私はそれを蔑視に感じていた。上記の担任の過保護も、裏をみれば私を蔑視していた結果であると思われた。私はことあるごとに「同情するならカネをくれ」と喚いていた、ってのはうそですけど。

 

だから私は「お前らには俺の気持ちなんてわからねぇよ」と思い始めた。周囲の小ばかにした悲観の眼光に対して母子家庭の盾は効果がない。むしろ逆効果である。なので小ばかにされそうなとき、相手に「人の気持ちがわからないばか」の捺印を押し、「そんなばかにはなに言われても平気だわ」と思うのである。いまふうに言えばマウンティング的なことだと思われる。

 

こうして私は自己防衛の手段を講じた。その「俺はスペシャル」という心持を抱き続けた結果、プラス、他人に勝手にばかの印字を施す結果、イコールが、いまの私の腐った性格を生み出したのではないか、と思っている。

 

また母子家庭という環境では出来ないことなどがある。それはもちろん父を伴う行事や祭事やイベントである。ほほう父の日。ふーんキャッチボール。はっはーん父子リレー。そうやって他の家との差異をめっちゃ感じる。ここでまた心の防衛網が踊り出す。するとどうなるか。リコーダーを吹かなくなる、ということである。

 

私は学徒であった時期、なぜみんなでおんなじことをするのかわからなかった。とくにリコーダーである。なんでみんなで一緒にリコーダーをピッピラ吹かなきゃならんのだ。あほうか。なぜみんなこの集団的状況に疑問をもたないのか。ひとりぐらいさぼってもわからんだろう。集団笛吹き気持ち悪い。と思っていた。

 

つまりこれは、人と同じことはしたくない。俺はアウトローだ。人と違うのがかっこいいんだ。と思い始めるということである。今思えば「できないこと」を自己の選択で「やらないこと」と思い始めていたんだと思う。

父のいない状況でできないこと、やれないことというのは多くあった。それを肯定するために「あえてしないだけ」というアティチュードを構えるようになる。そのアティチュードを「やればできる」ことにも適用し始めてしまうのである。そしてそれにアウトロー精神も交じり合う。するとリコーダーを吹かなくなるのである。

 

そうして、いっぱしのアウトサイダーとして、すべてのものごとに対して斜に構えるようになる。怠惰。そしてやらなくていい理由は母子家庭を盾にするのである。そこに上記で述べた腐敗した私の性格である。まるで救えない。

 

しかし「人と違うこと」にはたいへん興味があった。それが私にとってのロックミュージックであった。このへんは私が最初に手にした楽器が「ベース」という事実もこの信憑性に拍車をかけると思う。

ちなみにこの上記記載で人生の再建的予兆が垣間見られるが、ロックを好きになる、というのは堕落の一途をたどるということであり、今後の人生にもいっさい希望の光明は差さないので安心して欲しい。

 

だからブログでもそうである。私の文章は読みにくい。けど、人と違うふうに書いたほうがいいじゃん。とか思っているのである。浅はかでしょう。だから以下のように皆さんの綺麗な読み易いやつができないのである。

 

拝啓!灼熱滾る煉獄の底から蘇生したゆあさよと申し仕る!

貴公はいかなる襦袢を召しておるのであろうか。

拙僧はユニクロで販売流通されるものを纏って候。

かようなユニクロラバーたる拙僧が推奨する襦袢を伝播いたしたい。

願わくば高説仕る拙僧の下記稚拙乱文にお付き合いしていただきたく申し仕る。敬具!

 

ってのができないのである。ね、できてないでしょう。

 

かかる具合の心持をいまだに持っている。つまりいい歳こいたおっさんになっても「人と違うほうがかっこいい」と思っている。だから妻に「おまえみたいな捻くれた人間見たことねぇわ」とか言われるのはつまり、私は無双ということであり、私のアイデンティティに対してマキシマムな美辞麗句なのである。

 

だから、因果が逆かもしれないが、私は母子家庭で育ったことがかっこいい、と思っている。ちょっと誇りに思っている。それは私がロックミュージックなんてものを好きなこともあり、そのロックミュージックを形成した偉人たち、つまり、ジョンもカートもギャラガー兄弟も親に恵まれなかったことからロック感が出ていいじゃん。俺は親に恵まれなかったわけじゃないけど、母子家庭ってロックっぽいじゃん。人と違うってかっこいいじゃん。それってロックじゃん。と思い始めたがゆえに、私は「まだロックが好き」なんです。

 

今週のお題「自己紹介」

羽生市さいたま水族館へ行った

 

幸せになりたい。

これは「なんかいいことないかなぁー」て感じの漠然とした願いでなく、切実である。私は切実に幸せを手に入れたい。

その切実さゆえ、幸せを探しに水族館へと行く運びと相成った。家族の行楽というのは「幸せ」を伴うからである。

 

場所は羽生市さいたま水族館である。私の住居からハイブリッドカーで1時間たらずの距離である。

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ここで苦言を呈したい。またである。私はこういうことがいつも気になるのである。それは「さいたま水族館」の名称である。

本来「さいたま」の名を冠するのであれば、さいたま市にあるべきである。しかしここは羽生市。埼玉県内、市の合併によりひと悶着あった結果の「さいたま」表記である。

それをば、羽生市が手前どもの施設に「さいたま」を冠することはこれつまり虎の威を借る狐であり、狡猾である。なぜならさいたま市というのは埼玉県内では洗練された都市型の名前であり、さいたまと名付けるだけで規模が大きそうで、なんかいい感じに見えるのである。でも「はにゅう水族館」じゃ誰もこないもんね。それじゃあなんだか小規模感がすごい。

 

そんな感じで「はにゅう水族館」へ行った。よく晴れた気持ちの良い土曜日の午前のことである。

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あ、けっこうするな、と思ったら年パスであった。しかし年パスで1030円は安いな、と思った。視点を変えれば世界が変わると思った。

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断言してしまえば、さいたま水族館のピークは水族館へ入館する前の溜池である。我が家の2歳の血族はここがテンションの絶頂であった。なぜならば溜池内の魚類に餌撒きをすることが可能であるからだ。

飼育というのはさまざまな工程があるが、やはりメインの柱であるのは食事の投与である。「飼」は食を司る。それを客にさせ、さらに金品まで巻き上げるとは見上げた根性だ。こんなもんに金など払えるか。私はそう思った。しかし私を見上げるわが子の純真な眼光に屈し、餌撒きをすることになった。

しかし魚の餌は50円。昭和初期であれば学校教師の初任給である。私は現代病のワーキングプアーであるためそんな大金を持っていない。どうする。

私は悔いた。己がいままでしてきた怠慢を後悔した。もっと規則正しい生活をして勉学に励み、孝行をし、一流企業に就職してもっと金銭を頂戴したかった。しかし時は戻らない。ゆえに願った。強く願った。もし神がいるのなら、この子だけでも幸せにして欲しい、と。

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そのときである。青天の霹靂とはまさにそれで、私の眼前を一筋の閃光が奔った。刹那、暗雲が立ち込め、禍々しい空気と風が周囲を包んだ。気がつくと目の前には大きな龍神が中空に停滞していた。そしてその龍神は人語を放った。「さぁ願いをいえ。どんな願いもひとつだけ叶えてやろう」

鯉が龍になる、というのは話に聞いたことがあるし、ポケモンでもコイキングがギャラドスになった。それでもこの眼前の世界が信用できなかった。その問いに、私はありのままの気持ちを伝えようとした。しかし突飛なこの状況でうまく言葉がでるはずもなく、心中はそのまま唇からこぼれた。「幸せになりたい」。

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気がつくとわが子の手中にはプラカップがあった。それには魚類の餌がはいっていた。良く晴れた土曜の午であった。なにごともなかったかのように世界は回っていた。不思議な感覚が胸の袂に残っていた。まさに白昼夢とはこのことであるな、と思った。2歳の息子はとっても楽しそうに餌撒きをしていた。そんな楽しそうな息子を見て私の心は幸福感でいっぱいだった。

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さいたま水族館は「河川」をテーマにしている。なので川の生き物メインである。それは上流から下流へとながれる一貫を館内で表現しているのであった。

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水族館みたいなくらいところで写真をとるのはむずかしいですね。

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亀がいた。接触できた。ちなみにザリガニもおわした。

私はできればこういうのは触りたくない派閥に属している。それは生物がこわい、ということでなく、生物に触ることで付着するさまざまな微細な汚れが厭なのである。

なぜかといえばその微細な汚れには善悪混交のさまざまな菌が含まれており、その菌による感染症などがこわいからであって、つまるところ生物がこわい、ということではあるが、断じて亀やザリガニが怖いわけではない。しかしこの説明はそこそこ長いので略して、こわいから触れない、と言うことにしている。

息子は亀に赴きが向いたようなので私は仕方なく両の手で亀をつかみ取りした。直後、めっちゃ手を洗った。

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なにを映したのか。一見すると謎であるので説明したい。これはムジナモというらしい。つまり藻であり、植物である。以下拡大である。

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ありのままの気持ちを吐露した表現をすればゴミみたいだな、と思う。しかしこれは天然記念物となっているほどの絶滅危惧種のようだ。また栽培も難易度が高く、愛好家によるとめちゃめちゃすごいらしい。

ただ専門家外にスティーヴルカサーのマルチプレイヤーぷりを説明するのは難しい。それと同様で、正直なにがすごいんだかよくわからなかった。もうすこし歳をとったらすごいと感じるのかもしれない。つまり私の経験値がたりなかたっただけである。ただこれをメインに据える度胸はすごいな、と思った。

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小規模な水族館である。またテーマは「荒川の水生生物」なので、ど派手な生き物はいない。ペンギンとかラッコとかいない。シャチやサメや伊勢海老もいない。逆に居たら困るし恐怖である。オオサンショウオウは居た。でかかった。恐怖である。しかし「まぁこんなもんか」と、すこししょんぼりしてしまう結果であった。 

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さいごにこんな、いかにも写真をとる場所ですよ的なところがあった。なので写真を何枚かとった。 いい写真が撮れたとおもう。

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帰りにうどんの喉越しでも楽しんで帰ろうじゃねぇか、と思ったが息子が入眠状態に陥ったのでそのまま帰路についた。

思い出とは不思議なものである。おいしかった飯屋よりもまずかった飯屋のほうが印象に残る。 そんな感じで「なんかあんまだったね」なんて言って帰ったが、頭のなかには思い出という目に見えない充足感でいっぱいだった。入館料には見合った内容であった気がする。あと施設はとてもきれいでした。

ムジナモに趣向を感じるレベルに達したらまた行って、妻と「やっぱあんまだったね」とか言いたい。楽しかったです。

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さいごに加齢による足腰の弱体化が隠蔽しきれない一枚を掲載しておく。

慣らし保育で慣れなかった

 

2歳の息子が慣らし保育を終えた。慣らし保育というのは、こどもが保育園になれるまで短時間保育をすることである。お昼までとか。息子は転園であったためすぐにその施設になれた。すでにお友達もいるようだ。ほんとうに私の血が混じっているのか。そう思うほどの調和技術をもっている。

 

慣れなかったのは父のほうである。つまり私が慣れていない。先前は妻が送り迎えの担当をしていたが、今回送りが私の担当となった。だからさいきんは毎朝なかよく保育園にかよっている。この配送が毎回事件なのである。

 

保育園につくとまずロッカーに向かう。わが子の名前が記されたロッカーである。持参したコップ、エプロン、タオルをロッカー上のカゴに配置する。着替えをロッカーに収める。紙おむつを所定の場所に整列させる、などである。そのあと先生のところへ連絡帳を持っていく。このとき連絡帳は息子が持っていってくれる。譲渡するときにはしっかりと「ほな本日もよろしゅうたのんます」的なことを言う。できた2歳児だと思う。

 

そしたら我が家の2歳児はそそくさと遊びに行ってしまう。早朝であるためこどももまだ少なく寂寞としている。しかし、彼はここぞとばかりにおもちゃで遊び始める。絵本を読み始める。マイワールドを展開する。つまりここで感じるのは、パパさみしいということである。

 

さみしくて泣いてしまう子もいる。先日もそうであった。1歳児クラス、別称あひる組さんの男の子は顔面を紅潮させ、だあだあじゃあじゃあ泣いていた。その子の血胤関係とおぼしき女性は眉を顰め苦笑しながらも保育園を出て行った。これは仕方ないのである。時代がそうさせるのである。いっぽう三十路のおっさんはというと、締め付けられるような胸の苦しみを一粒の涙に変え、それがこぼれないようにぐっと歯を食いしばっていた。

 

涙の理由を述べたい。それはさまざまな思いが錯綜していた結果である。思いはエアーホッケーのパットのようであった。思いはてけてけと電子を鳴らしながらあっちに行きこっちに行き、つまり頭の中を駆け巡った。

 

最初はは離別の念が出てくる。やはり離れ離れになるのはさみしい。寂しさの涙。でも息子のあの様相はそんなにさみしがっていない。それがまた私の寂情を加速させる。しかしこれはとてもありがたいことである。だって他の子は愚図っている。つまりこれは、私はとてもラッキーなのかもしれない。ということである。なぜならわが子は愚図らないから。これはラッキーでもあるがやはり息子に感謝である。感謝の涙。うちの子、めっちゃえらい。ん?えらい?「えらい」ということはなにかの成事に対して言うべきであり、この場合「えらい」というべきではないのかもしれない。いや、そうか、わかった。あの子はがんばっている。本当はパパと一緒がいいのである。それを、パパが困惑するから、お仕事に行けなくなってしまうから、ぼく我慢するよ。いってらっしゃい。そう思っている。なんと健気な。あの子は強い子だ。すごい。だからえらいと褒め称えるのは正しい。父を思う息子に涙。ああ、いますぐ抱きしめて頭頂部を撫でたい。でもそんなことはできない。だってそんなことしたら彼は甘えたくなってしまう。甘えたくなって保育園に行きたくなくなってしまう。そらあかん。息子の努力を無駄にする気か、俺は。あほか。でもなんで保育園に行きたくなくなるのがあかんのか、と言えばやはりそれは私が会社に行かなければならないわけであって、この世を恨む。もし私がユニクロのCEOならば息子を保育園に通わせなくていいのである。なぜならば妻が専業主婦でいられるから。実際問題そんなにカネはなくていい。うそ。めっちゃほしい。でもせめて妻が働かなくていいように出来ないのか。そんなカネも稼げない自分が情けない。くやしい。涙。そんな私を尻目に遊んでいる息子。無神経か、あいつは。ばかなのか。俺がこんなに全身全霊をもって思慮しているのにへらへら笑いやがって。怒り、これもまた涙。なんでこんなに憤慨するのか。それはやはり私が労働の義務をはたさねければならないカルマを背負っているからである。あぁやだな。仕事行きたくないな。つらいな。涙。あぁ楽しそうに息子は笑っている。もしかしてパパといるより楽しいのか?そんなひどい。パパは息子といるのが一番楽しいよ。なのにパパのこの気持ちを汲んでくれないのかい。ねぇ。一緒に遊んでよ。ってかちょっとは、パパいかないでぇ…とか寂しがれよ。なんだよ。寂しいのはけっきょく俺だけかよ。孤独の涙。

 

そんな感じで私はいまだに保育園での息子とのバイバイに慣れない。涙。

語れ!涙!

語れ!涙!