まだロックが好き

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

まだロックが好き

アラサーです。 ふだんはサラリーマンをしています。 元バンドマンです。 高校から一緒の妻と、2014年に生まれた息子がいます。 趣味でまだバンドをやったりしてます。 まだロックが好きです。 そんな日記です。ブログではありません。 日記です。

普通になりたかった

 

普通ってなに?ってなりますが、個人的には「みんなといっしょ」ってことだと思っています。しかしその答えは人それぞれにあると思います。立場観点によってその答えが違うと思います。上から見れば謙遜であって、下から見れば憧憬です。私は普通に憧れをもっています。

 

ふだん私の日記は口語敬体ではないのですが、いつも読んでいただいている御仁方からいただいたその質問に応対したく、本日はかかる文体を採らせていただいています。

 

「普通になりたかった」という表題で始めましたが、私自身はずいぶんと普通です。自分ではそう思っています。これに関してはいささかの謙遜で言っています。もちろん僥倖もありますが、けっこう器用なほうです。実務的な勉学や運動で苦労したことはあまりありません。でも熟女は好きです。色は年増にとどめさす、といいますのでこれは普通でしょう。

 

ではどんな普通に憧れているかというと、家庭環境です。私は母子家庭で育ちました。貧困家庭でした。何度か日記に書いています。

 

しかし私は母子家庭を恥じてはいません。なぜなら私はロックミュージックという音楽ジャンルが好きだからです。たいていのロックミュージシャンは家庭環境に艱難があったりします。そこから生じた悲しみやコンプレックスを歌うのが格好良いと感じたのです。

 

だから私は母子家庭という環境、そこに身をおいていることを好機だ!と捉えました。生まれながらにしてアウトサイダーじゃん!などと思っていたのです。大仰ですね。

 

私はバンド活動を仕出しました。高校の学徒であった時分からです。首都に参じたのもバンド活動をしたかったからです。バンドメンバーで借家をしてました。「あわよくば」なんてな天佑神助に媚びることない活動だったと思います。大学のサークル活動などは無縁な人生でした。普通とは疎遠だったかもしれません。

 

時が経ち、当時の彼女、というか今の妻は就職しました。友人は周囲におりませんでしたが風の便りとはどうしてこうも耳障りなのでしょうか。かつての学友はもちろん、みな就職したという情報は知っていました。

 

しかし、そこに曖昧な安心感を見つけてしまったのかもしれません。

友人知人は将来を見据えている。彼女も働いている。いっぽう私はうだつの上がらぬバンドマン兼フリーターです。しかし私はその情況をすこし楽しんでいました。葛藤している自分が愛おしかったのです。「悩んでいる俺かっこいい」という心地良い焦燥でした。ライブハウスにいる自分が本当の私だと思っていました。そこにはそんなが輩がたくさんいたのです。それがその閉じられた世界での普通でした。

 

思えばロックバンド、とくにパンクロック、オルタナティブロックに傾倒したのも「普通になりたかった」からだと思います。

パンクロックは貧乏人の叫びです。パンクロックの輪の中に入ってしまえば私の貧困家庭も普通になります。みんな一緒だからです。クラッシュは売れてもずっと電車通勤だったらしいですね。

オルタナティブロックはコンプレックスの音楽だと思います。スマッシングパンプキンズというバンドが好きですが、ビリーコーガンが抱くコンプレックスに比較すれば私のコンプレックスなど普通です。比べるものではないですが。

でもしかしそこに入ってしまえば、こんな私でもみんなと一緒になれるのです。

 

そんなバンド活動も終息させました。発端というのはありました。金の問題です。メンバーのひとりが奇怪な投資ビジネスにバンド貯金を運用してしまったのです。ビジネス書などを何冊か購入しセミナーなどにも登録していました。当時の日本通貨で50万円でした。金を増やせば音楽活動がたやすくなる!と言っていました。私は頭に血が昇りました。

 

おそらく本人は早く上がりたかったのでしょう。気持ちは汲み取れます。金はなんとかなります。ただ信頼というのはどうしてもなんともならないのですね。

 

しかし、これはただの糸口です。ちょっとした綻びです。その綻びを引く意志は私にあったのです。私の腹の裏のほうでバンドを終わらせたい思いが渦巻いていたのかもしれません。本当に続けていきたかったのならば続けることだって出来たし、新しくメンバーだって探せたのです。

 

言うなれば私は、もっと一般的な普通になりたかったんだと思います。

普通に働いて、普通に家庭をもって、普通に生きる。かなり敷居の高い人生です。

なぜ普通になりたかったかというと、今の妻と結婚したかったからです。妻と一緒に生きていきたかったのです。自分のバンドの能力に臨界点を見た、というのもあながち間違いではないです。だけど根底にあるのは、やはり、ずっと妻と一緒にいたい、ということだと思います。

 

もしもバンドを続けていたとしても、妻はもしかしたら私と結婚してくれたかもしれません。しかしそれは妻に普通ではない人生を歩ませることになります。そんなとき、ふと思うのです。

もし私が母子家庭じゃなかったら、どんな人生だったのだろうか、と思うのです。もし母子家庭でなければもうすこし普通の人生を歩むことができたのではないかな、と考えてしまいます。もっと違う音楽を好きになっていたかもしれません。もっと他にやりたいことが発見できたかもしれません。環境って本当に人生を制限させると思います。

 

じつは私はべつだん子どもが欲しかったわけではないです。しかし妻は欲しかったみたいです。たしかに私の憧れる「普通」という理想郷でも子どもは必須条件でした。

 

子は親を選べないのですね。もし私がバンドを続けていたとして、私が自分の信念、やりたいことを貫いたとして、そんなとき子どもができたならば、子どもにどんな人生を歩ませてしまうのだろうと考えてしまいました。バンドで成功するのなんて現実的ではないです。たしかに続ければある程度までいける世界だと思います。しかしそこまでいくのに羨望していたこの普通の生活は捨てられませんでした。

 

バンドを続けていればそんな後顧の憂を残すことになります。たしかにカッコいいパパというのはやりたいことをやっているパパだと思います。私は仕事が嫌いです。同僚に失礼ですが誇れるような仕事でもありません。頭を下げてばかりです。でも私の人生を懸けて妻と子が普通の人生を歩める手助けができるならそれでいいです。本望です。死にたくはありません。私は私の家族とともに目指すべき輝ける普通の生活のなかで生きていたいからです。

 

もし子どもが大きくなったとき「普通の家庭で育った」と言えるようにしたいです。そして家庭の環境で彼の普通に選択できる人生を狭めてほしくないです。お金はありませんが妻にも少しくらいおいしいものを食べさせてあげたいです。それが私の抱く理想の普通だからです。

 

今回このような回顧録を記載したのは、いつも読んでくださっているきのこあたま様からのご用命がきっかけでした。

本当はもっとちがう形で書こうと思っていたのです。しかし考慮をめぐらせるうちに今回の「普通になりたかった」という発見がありました。

そんなキャンディーズみたいな感じでバンドを辞めたのです。滑稽ですね。その程度だったんだと思います。私は一生ロックな人になれないと思います。ただのロックが好きなおっさんです。

でも私は普通でいたいのです。それはあまり普通でない環境に育ったからなのかもしれません。普通に生きるのは難易度がたかい時代です。でも今の俺ならがんばればなんとかなると思っています。

現在なんとか普通に生きていけていると思っています。家も買って子どもも育ててます。しかし、いつこの均衡が崩壊しても不思議ではないです。恐怖をいだいています。保険を上乗せしたいです。でもなんとかやっていくしかないと思っています。後悔がないわけではありません。だけど幸せです。長くなりましたが以上です。自分の気持ちも整理できた気がします。きのこあたま様に感謝を込めて書きました。はてなの人でないので言及ができませんが、いつも読んでいただきまして、本当に、ありがとうございます。

The BirthdayのNOMADを聴いて思うのはチバユウスケの愚直なロック魂

 

侮蔑であろうか。

しかしチバ(敬称略、と書いて思うこと。それはロックミュージシャンに敬称をつけるのもいかがなものか、ということである。ロックとはフラットな関係である。そこに儒教観念を持ち込むのは無粋である。しかし実際チバと直面してお話しをした場合に「でもチバはさぁ~」とか言ったら確実にど突きまわされると思う。なのでやはり敬称はつけるべきである。敬称略。)は愚直な人間だと思う。

 

チバはとくべつなメロディメーカーでもコンポーザーでもないと思っている。というかそんな必要が無い。彼は格好つけた音楽芸術家ではない。彼はバンドマンなのである。

 

純然たるバンドマン。愛すべきロッカーである。ロッカーと言っても荷物などを保管するおもに四角形の鋼鉄製の箱ではない。ロックという音楽を愛し、ロックという音楽に愛された人間のことである。ベイビー。

NOMAD(通常盤)

NOMAD(通常盤)

 

少し前にThe Birthdayが新譜を出した。NOMADと名づけられたアルバムである。とても格好よかった。

まず驚愕したのは2曲目「1977」や10曲目の「抱きしめたい」などである。こんなエバーグリーンな曲をチバはまだ歌える。上記でとくべつなメロディメーカーではないとか書いてしまったが、ごめん。そんなことない。めっちゃいいメロディです。

6曲目の「ROCK'N'ROLL GIRL」もエバーグリーンであった。これは思わず口角が上がってしまう曲であった。

嬉しかったのは3曲目「バーテンダー」である。初期のミッシェルガンエレファントのごとき軽快なギターが鳴っていた。ギターはフジイケンジである。マイラバやん。弾きまくっている。アベが弾いていたようなパブロックのギターのにおいがする。

チバの作る曲はミッシェルガンエレファントのときから疾駆感があった。

4曲目の「夜明け前」は緊迫した夜の帳を切り裂くようなギターの刃音がその疾さを物語っていた。5曲目の「GHOST MONKEY」は歯切れの良いギターと16分を刻むベースのドライブ感が最高に駆け抜けた。9曲目の「DEVOLA」は爆風のような熱気を帯びた陣風を感じた。圧巻の一言である。この疾駆感の正体はキュウちゃんと呼ばれるクハラカズユキのドラムにあるとおもっている。

わたしはキュウちゃんのドラムは上手いと思わない。技術を見せびらかさないからだ。しかし良いドラムを演奏する人だなと思う。というかキュウちゃんは技術に頼る必要がないドラマーである。これはチバも一緒である。クハラカズユキという人間がドラムセットを前に座してエイトビートを刻むだけで説得力がある。かつてミシェルガンエレファントというバンドはそういう4人がそろったバンドであったと思う。

1曲目の「24時間」と8曲目の「VINCENT SAID」は同系統の曲であるように感じた。24時間のほうはギターの妖艶なアーミングの雰囲気かネオロカビリーの様相をなしていた。漆黒と怪奇合い混じった曲であった。

7曲目「夢とバッハとカフェイン」はエモかった。曲調はミドルテンポなんだがとにかくエモかった。しかしそのエモさは情念に突動されているということでなく、それと一定の距離をとっている感じがした。

曲というのは技術ではなく情熱で作るものである。チバはずっとその情熱を絶やさない。ミッシェル時代はその情熱の焔に身を任せたような楽曲もあったが、この「夢とバッハとカフェイン」は焔を見つめ、枝火を手にとり見つめて作ったという印象であった。


The Birthday - 夢とバッハとカフェインと (Music Video)

全11曲の最後は「月の上のイライザ」である。夜半に月を見つめることはきっと歳をとっても忘れない人間の原初的な行動だと思う。歌詞にひっぱられてしまうがそんな曲だとおもった。

 

私はいままでミッシェルガンエレファントの影ばかり追いかけていた。ゆえにロッソ、バースデイというバンドはあまり聴いてこなかった。しかし気がつきました。バースデイってこんなにいいバンドだったのか!

 

いま若いバンドがロック業界を台頭している。しかしどれだけの若人がいまの音楽性を続けられるだろうか。きっといろんな音楽に手をだすと思う。時代の要望に答えてロックバンドがテクノバンドになったりすると思う。

 

しかし、それはなぜかというならば、自分を鳴らしていないからではないだろうか。対するチバはチバの音楽しか鳴らせない。悪く言えば不器用なのかもしれない。けどチバは誰よりも自分のすきな音楽を自分らしく鳴らしている。

 

私はそんなチバが好きである。愚直で、純真素直にロックバンドをやるチバが誰よりもロックを愛しているんだなと思う。ずっと歌い続けて欲しい。その皺枯れた声はいつかSIONみたくなっちゃうかもしれない。けどずっとチバはチバだと思う。敬称略。

NOMAD(初回限定盤)(DVD付)

NOMAD(初回限定盤)(DVD付)

 

低糖質パンという悪魔のおやつ

 

世界とは蠱惑的である。やめてくれ。おれを惑わせるな。酒、たばこ、ギャンブル、セックス、ドラッグ、そしてロックンロール。これらは修験者として白装束を身にまとい、滝にうたれ、経を読み、いっさいの色欲を断絶した私の戒律を倒壊させる。その最たる天魔が日常にひそんでいる。私は身震いしている。誘惑の銃弾を放つその影につめたい血が流れる感覚がある。その天魔の名を、人は、おやつ、と呼ぶ。

 

腹が出た。これは加齢によるものでもある。*1どうやら人体は基礎代謝というものを行っており、その能力が加齢とともに低下するようだ。たしかにわんぱくだったあの頃はなにを食べても肥満することはなかった。いま私にたりないのは元気だと思う。あとカネ。

 

しかしこの基礎代謝が下がるというのは、いうなれば、効率よく人体を運営している、ということではないだろうか。つまりこれは人体の進化である。すくないエネルギーで作動したほうが地球に優しい。エコである。地球環境の瓦解を恐れ人類はエコカーなるものを発明した。そしてその改革意識は人体の改良を促した。そういうことではないだろうか。まったく豪儀である。

 

来るべき世界の終焉に向かって人体は進化を続ける。それが基礎代謝の低下であり、肥満なのである。しかしその進化に抵抗し、肥ゆることに厭悪し、美麗を維持し続ける人間がいる。世界の恐慌が降りかかったときでも「肥ゆるくらいなら死を選ぶ」というアティチュードである。侍である。

 

しかし人は食わねば生きていけない。そして時に誘惑の凶弾に倒れるのだ。おやつという天魔に打ちのめされる。さて、そんなあなたに朗報です。

 

ローソンというコンビニエンスストアーがある。そのローソンには低糖質のパン類が販売されているというのだ。あのローソンである。最寄のコンビニがローソンであると地価が下がるといわれていたローソンの起死回生の一矢である。私はべつだんローソンに厭悪しているわけではない。ただコンビニ御三家であるセブン、ファミマ、ローソンが並列していたらセブンに直行するし、ファミマに関してはなにも思わない。ただローソンに行けといわれたらちょっと罰を受けている気分になる。そんなローソンである。

肥満の原因はカロリーではないようだ。じつは糖質とよばれる栄養素である。これを制限することで腹の凸出を抑制できるというのである。つまりこのローソンの低糖質パンをおやつにすることで腹は出ない。肥満しない。だから誘惑に負けてもだいじょうぶ。これはさいきん流行の「がんばらなくていいんだよ」みたいな鬱憤を霧散させるスローガンのようである。ストレスフリーの社会である。

 

しかし、こうして人類に安寧を与えることは脆弱な精神をつくりあげることになるのではないだろうか。つまりローソンの低糖質パンで人は弱くなる。弱くなった人類はいっそうさまざまに誘惑に打ちひしがれ、落ちていく。現代のアダムがかじるのは低糖質のパンである。畢竟、これは悪魔のパンである。悪魔のおやつである。

 

いったい誰がこの世界を滅ぼそうとしているのか。私はこれから誰と戦うべきなのか。来るべきアルマゲドンにそなえ、私は、プリングルスを食べたいと思う。

森永製菓 プリングルズ<サワークリーム&オニオン> 53g×12箱

森永製菓 プリングルズ<サワークリーム&オニオン> 53g×12箱

 

今週のお題「おやつ」

*1:加齢によって腹が出る。そう書いて誤謬があるとおもった。加齢によって腹が出るのではない。食うから腹が出る。食うから腹が出るのだが、加齢によって基礎代謝が下がるので食ったカロリーを燃焼させる効率が低下し、腹が出る。と書かなければいけない。こうやって私の日記は無駄に文字数が増える。しかし虚言は書けないという妙な仁義より文字数を増やしている。まぁたいていのことは嘘なんだけど。しかし腹が出ることを恐怖に覚える女人もおられると思う。ゆえに「歳をとるとオートマチックに出腹になる。ああ私は永劫の美しさをもって死ぬる」ってな感じになることをおそれてちゃんと書かなければ、と思った。って無駄に行数が増加するのでこれは脚注にします。

2歳8ヶ月はまだ夜泣きをする

 

過日。夜半。2歳8ヶ月の血族は号泣していた。寵愛する息子である。しかしその泣叫は耳に障る。すべてが判然としない暗闇のなか私と妻はおきあがった。ねむい。

 

じめじめとした闇が支配していた。けたたましい叫び声だけが響いていた。なにも見えない。なので私はブリッジをした。人体がこれ以上曲がらないというところまで胴を持ち上げ、ぽきりと音を鳴らした。すると忽ちにして脊髄に含有されている化学物質が体内にひろがった。それは動脈静脈を通じ私の身体はしだいに「ぽぉ」と発光した。キイロの蛍光色である。すこし胴を振ってみた。かちかちと音が鳴った。

 

そんな光源のもと茶を飲ませ、ともに臥した。すでに2歳児は寝息を立てていた。思えばこの2歳児は夜通し眠るということがまるでない。そっと起床するのならば良いのだが、そんなことは一度たりともない。絶叫と号泣の警鐘で我々夫婦を目覚めさせる。

 

これでも沈着したほうである。風の便りで聞いたことがある。世間様には夜泣きなどまるでしない子どももいるようだ。そして2歳くらいになれば落ち着くというのが民間の流布である。まったくの嘘であった。

 

子どもの生まれ持った性格、備え付けの魂、気概、性質というのは千差万別だとおもう。しかし時代はインターネット情報社会である。さまざまな統計化された情報が大衆という神風を味方につけ、醸成された方法論として猛威をふるう。はじめての子育てにおいて憂慮にまみれた我々保護者は、その流言飛語を信頼せざるを得ない。しかし本当はその子にの性格に合わせた指導をせねばならない。

 

たしかに統計というものは役に立つ。しかし占術と一緒である。参考にしても良いが、それで断定するべきではない。全員とちがうからと言って異端あつかいするな、都合の良い金子みすず論はやめろ、と思う。これは己に言っている。

 

世の中にはこどもに対し非道い仕打ちをする家庭があると聞く。ニュース番組などでもたまに拝見する。しかし、思うに、うちの息子は虐待されるタイプだと思う。もしも星のめぐりでそういう家庭に生まれたのならば、問題児あつかいされ折檻され、挙句の果てには育児放棄されるような子であるとおもう。

どんな方法を駆使したってうまくいかない時がある。そんなときいつも「どうしてうちの子ばかり」と思う。「周りの子はもっと言うこと聞くのに」とか思う。子どもがいながらもキラキラした生活を送る御仁方もおられるご様子である。どうしたって比べてしまう。そうして、どうでもよい他人の子と愛するわが子を比較検討して鬱積してしまう。

 

インターネットの無責任な方法論がある。「子どもが言うことを聞かず、ごはんをこぼしたら叱るのではない。まずは大丈夫と声をかけてあげてください。子どもがその一言でどれほど安心するか」とかいう類のものである。

 

くそだなと思う。そこで安心して次も同様の狼藉をした場合、どう責任をとってくれるのだろうか。ばかである。やめてほしい。こういった理想論で子育てをイージーなものに見立てないでほしい。もっと現実的な泥臭い対処方法しかない場合もある。「言うこと聞かないと怖いおじさん来るよ!」と言うしかない場合だってある。

 

世の中には暇つぶしで子どもを産む方もおられるようだ。それはとても運の良いことだな、と思う。生まれてきた子に感謝すべきだと思う。たしかに艱難辛苦もあったであろう。しかしたとえどんなハッピーエンドを迎えることが出来たとしても、私はこの育児が「暇つぶし」なんてとても言えない。

 

子育てというのはとても個体差が激しい。どんなに釈迦のような性質を持った御仁方であっても手を焼く子どもを引いてしまったならば教育の過程で非人道的な措置も講じると思う。拙宅の息子のように寝ない子だっている。まるで言うことを聞かないエクストリームいやいや期を内在する子だっている。

 

辛酸をなめる毎日である。私の日記を見て「そんなたいへんなら子育てなんかしたくない」という人も居られると思う。そういう人は子育てしなくていい。暇つぶしでできるようなものではない。並々ならぬ覚悟が必要だ。

 

しかしそれでも私は子育てしたいのである。一緒に踊っているだけでめちゃくちゃ楽しい。ごはんを「おいしいね」と言ってくれるだけで破顔してしまう。寝顔をみるだけでたいへんだけどがんばろうと思う。

 

なんだか真面目な日記をかいてしまった。内容も支離滅裂である。なぜだろう。たぶんねむいからである。あと脊髄が折れているから。

日記が書けない

 

圧倒的な才能というものがある。それを眼前に突きつけられる。いままで自分のしてきたことが卑小に感じられる。強く光を放つその才能を前に、自身の積み上げてきたものがとても恥ずかしいものに感じられた。ゆえに私は日記を書くことが恥ずかしくなってしまった。どうしたの?って、草壁サツキの文才がすごかったのだ。

 

草壁サツキというのは、スタジオジブリ制作の映画「となりのトトロ」にでてくる小学六年生の女の子である。彼女の母はわけあって入院している。その母へ宛てる手紙がとても読ませるものだった。サツキの文面に私の心は粉砕されたのである。

その手紙は劇中で2回目の便りであった。サツキがバス停でトトロなる幻獣に出会ったことを報告する内容であった。

 

お母さん、まだ胸がどきどきしているくらいです。

この一文ではじまる。すごい。読ませる。え?なにがあったん!?と思う。読者を引き込む重力がある。草壁サツキの文章はブラックホールだ。それはとてつもない重力を生むブラックホールだ。私はこの冒頭だけでサツキの文面に魅了されてしまった。次をどんどん読みたくなる冒頭だった。

 

とても不思議で不気味で楽しい1日でした。

韻を踏んでいる。そのうえ今日がどんな日かまだ明かさない。文章のリズムもよい。これが「楽しかったけど不思議で不気味な1日でした」だと小詰まりをおこす。しかもなんだか帰結が「不気味」であってよろしくない。サツキはきっちり「楽しい1日」とハッピーエンドを綴っている。それってすてき。

 

それにトトロのくれたお礼もステキだったの。

声。とつぜん声がした。です・ます調の敬体で進行していた文脈から突然、肉声が聞こえたのだ。口語体のもたらす弛緩は読者をほっと一息つかせる。こいつは本当に小学六年生なのか、と小首をかしげてしまう文脈である。

 

(略)

まるで猿カニ合戦のカニになったみたい。

(略)はすべて、です・ます調である。そんななか急に文体を語幹止めする。「~みたいです」でなく「~みたい」。暴力的ともいえる助動詞の放置である。丁寧文であった文脈に忽然と出現するその力技にわたしは思わず息をのんだ。手紙の文体の緩急がすごい。

 

もうすぐ夏休みです。早く元気になって下さい。お母さんさま。サツキ。

そして「お母さんさま」である。余裕の重複する敬称である。サツキが意図せず二重敬称した、とは到底思えない。これほどの文才を持つものである。どんな誤用であってもそれまでの過程で説得できるのであれば、言葉はどのように使っても構わないのではないだろうか。サツキの文章には読ませる説得力がある。サツキは文脈に活きる言葉の生命力を私に教えてくれた気がした。

 

そんなこんなで私は打ちひしがれた。悔しかった。ぬかづいて慟哭した。小学6年生に負けた。しかし才能とは先天的なものだな、と思った。つらかった。

 

2歳の息子が「となりのトトロ」に耽っている。ゆえに人が一生で観賞するぶんの「となりのトトロ」をこの土日に観た。外であそんでトトロをみる。トミカであそんでトトロをみる。飯を食ってトトロをみる。風呂にはいってトトロをみる。息をするようにトトロをみた。トトロ三昧であった。ゆえに日記に書くことがない。しかし、とてもたのしい土日でした。

2歳児を恐怖で制圧してしまうのだが、このままではいけないと思っている

 

わが家の2歳男性が最高権力をもってる。こんなことをいうのは身勝手だとおもうが、拙宅の所有権は私の名義になっている。マイランド。私の土地である。しかしそこで誰が最高権力をもっているか、というと息子の2歳男性なのである。

 

つまりどういうこと?って言うとこういうことである。私は帝として擁立されている。だが摂政関白は息子ということである。これ逆じゃね?と思うだろう。まぁよくわかっていないのでつっこまないでほしい。

 

しかし我が家の針路はすべて息子が舵を取っている。すべて息子しだい。

 

なぜならば2歳児のイヤイヤ期と呼ばれるロックンロール精神が究極に達しているからである。しょうじきに申し上げる。非常にまいっている。

 

先前。以下の記事を投稿した。

2歳児のイヤイヤ期に対応する秘技を開発した。 - まだロックが好き

しかしこの時分よりこのイヤイヤの速度は増している。この手法が無効なときが多々ある。というか上記記事の内容はもはや遊戯と化している。そいでどうしようもないとき2歳児はさいきん癇癪をおこすようになってきた。 発狂、絶叫、乱暴、乱心、暴虐、狂乱、慟哭、号泣。そんな感じです。

 

そんなときどうするか。息子に言ってしまう。「こわいおじさん来るよ」と。「言うこと聞かないと、こわいおじさん迎えにくるよ」と言ってしまうのである。脅しである。

人間の動機付けに恐怖というのは効果がある。事実、そう恐喝すると息子はそこそこ言うことを聞いてくれる。それでも聞かない場合はこわいおじさんをスマホで呼ぶ。まじでよぶ。これは脅しではない。

こわいおじさんとは「笑ゥせぇるすまん」の喪黒 福造である。ユーチューブやフールーなどでその映像を受像し視聴させる。いっぱつである。いっぱつで「こわい。こわい。」と泣き喚き言うことを聞いてくれる。

笑ゥせぇるすまん [完全版] DVD-BOX

笑ゥせぇるすまん [完全版] DVD-BOX

 

そのさい「だいじょうぶ。パパが守ってあげるから!」なんて白々しくも言うのである。「だからお風呂はいっちゃおう」なんて具合である。そして「愚かしいな」と夜な夜なその行為を省みてじぶんが嫌になるのである。

 

トラウマにならないようにと思っている。だからさいきんはそれを辞めた。辞めたと言うか控えた。いざという時にしかつかわないようにした。使わざるを得ない状況ってある。ではふだんの代替案はどうしたか。

 

キャンディを与えている。不二家だのみである。ぺこちゃんのポップキャンディを与えて機嫌をとるのである。報酬である。「お着替えできたらキャンディあげるよ」という。

だいたい愚図って報酬は前払いになることが多いが、それでも言うことを聞いてくれる。前述の「笑ゥせぇるすまん」と不二家なので「不二」しばりかよ、なんてな具合におもうかもしれないが、これは偶然です。

不二家 ポップキャンディ袋 21本×6袋

不二家 ポップキャンディ袋 21本×6袋

 

恐怖で制圧するよりもすこし気持ちはラクになった。妻は「虫歯、肥満、依存」を恐れている。しかし私はしょうがないかな、と思っている。妻と息子がけんかしているのをよく見る。2歳児はぜんぜん言うことを聞かないのである。そんなときポップキャンディひとつで泰平となるならば良いのではないか。まぁまぁ落ち着いて、と言いながら息子の口をポップキャンディでふさぎ、妻の口はキスでふさぐ。

 

近所の2歳女児は癇癪をおこさないようだ。というか保育園でもほかの子ども達よりうちの息子は感情の起伏がはげしい。妻は悩んでいる。私もけっこう鬱積することが多い。しかし周りの子育てお姉さんたちからお話しを聞くと、3歳あたりになったら急におとなしくなる、とのことだった。だからいまは耐え忍ぶしかない。期を待つのだ。いつか権力を取り戻せるそのときまで。

THE BACK HORNの超個人的おすすめ曲25選

 

いつも読ませてもらっているculture timesのカルさん(id:tanilifelog)さんがバックホーンについて記事を書いていた。レコチョクが掲載させているバックホーンの人気曲がおかしいぞ、というものである。

www.culture-time.net

これ。私はこのカルさんさんの意見に共鳴してしまった。なぜこれが人気なの?と小首をかしげてしまうランキングなのである。どうやらこのランキング、レコチョク内のダウンロード数などを元に算出している様子である。よって随時変動している。

カルさんさんの記事の後半に、カルさんさんの個人的な曲ランキングが載っていた。バックホーン好きな私としてはたいへん嬉しい内容であった。おもしろそうだった。パクりたい。と私の心にじわりと執着が染みいる感覚があった。よって私も記事を作ろうと思った。あさはかだと笑って欲しい。

 

  1. 未来
  2. コバルトブルー
  3. 空、星、海の夜
  4. 夏草の揺れる丘
  5. 桜雪
  6. ガーデン
  7. ブラックホールバースデイ
  8. シンメトリー
  9. 風船
  10. 幾千光年の孤独
  11. 8月の秘密
  12. 赤眼の路上
  13. 初めての呼吸で
  14. 異国の空
  15. 砂の旅人
  16. 番茶に梅干し
  17. 冬のミルク(初期)
  18. 生命線
  19. 花びら
  20. フリージア
  21. 世界中に花束を
  22. 晩秋
  23. 美しい名前
  24. 悲しみの果て
  25. ひとり言

なんで好きなのか。それを以下に記載した。意外とさくさく書けた。というか興が乗った。しかし後半はやっつけになった。けどすきなのは本当である。この気持ちにうそはない。いつか書き直すかもしれない。

 

1.未来

個人的にTHE BACK HORNの得手というのは「儚さ」だと思う。たしかに烈しい曲が多い。しかしボーカルの山田将司のおいしい声の成分というのは、烈情な絶叫よりも掠れた美しい寂しさ、だと思う。こいつのそっと歌う声はまじできれい。そのきれいさの正体は「儚さ」だと思う。それが顕著に出ているのがこの未来という曲である。光が飛んでしまったような白の世界がある。なぜにどうして聴覚から視覚的映像が舞い込むのかというのは音楽の不思議だと思う。バックホーンはそれが巧いバンドである。世界の創造が巧いのである。この未来も白い世界を構築しているのだけれどもなによりも消え入りそうなろうそくの火のような儚さが聴こえる。曲後半のもだえ苦しむような切実に呼吸が苦しくならない人はいないと思う。超名曲。

未来

未来

 

 

2.コバルトブルー

たいていバックホーンといったらこの曲が挙がる。私もコピバンなどでやった。死ぬほどやった。たぶん本人たちよりもやったと思う。ってくらいコバルトブルーは知名度が高い。なので、コバルトブルーをやろう!と言われると倦厭してしまうのだが、ひとたびハーフダウンチューニングにしてイントロのリフを弾きバッキングに移行すると、あ、やっぱこの曲かっけぇな、となってしまう不思議な曲なのである。特攻隊の歌。死ぬる瞬間にもっとも生きたいと願うのではないだろうか、と思う歌。

コバルトブルー

コバルトブルー

  • アーティスト: THE BACK HORN,菅波栄純,松田晋二
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2004/11/03
  • メディア: CD
  • 購入: 1人 クリック: 2回
  • この商品を含むブログ (21件) を見る
 

3.空、星、海の夜

私とバックホーンの出会いの曲である。よって思い出アシストがかかっているが個人的なランキングなのでまぁいいでしょう。しかしこんなに夜を体現した曲が他にあるのだろうか。夜ほど世界が輝くときってのはないわけで、つまり世界は夜という静寂の概念にとらわれながらめちゃくちゃ燃えているわけである。そんな激情のやり場を見つけだせる歌。後半の発狂ぐあいがたまらなく切迫する。 

空、星、海の夜

空、星、海の夜

 

 

4.夏草の揺れる丘

セカンドアルバム「心臓オーケストラ」に収録されている。心臓オーケストラってタイトルが端的でわかりやすくて狙いまくっててあからさまでまじすげー好き。1曲目の「ワタボウシ」からめちゃくちゃ好き。「夕暮れ」なんかもめっちゃ良い。だけどこの「夏草の揺れる丘」を選んでしまった。なぜか。これもまた儚い曲なのである。とにかく郷愁がすごい。センチメンタルって匂いがしませんか?言葉のもつ力なのかもしれないけれど。しかしこの曲、各小節で郷愁が薫る曲なのである。それは青々と茂る草々の薫り。夕暮れ時の冷えていく空気とまだ熱をもった地面が対立する匂い。お祭りの露店のたべものと、群集の人間の汗の匂いと、押入れから引っ張り出したのであろう浴衣の匂いがまじった匂い。夕立で舞い上がるアスファルトの砂塵と鼻腔にねばりつく湿度のにおい。そんな匂いがする歌。せつない。

心臓オーケストラ

心臓オーケストラ

 

 

5.桜雪

桜雪はシングル「風船」のカップリングである。しかしこの「風船」のシングルが途轍もなくバックホーンというバンドを現していた。インディーズ時代の産物である。曲の内容は「風船」、「ザクロ」、そしてこの「桜雪」である。この3曲めちゃくちゃ濃厚。さいきんチョコブラウニーみたいなのを食ったんだがめちゃくちゃ濃厚だった。なんか緑のパッケのやつ。あれぐらい凝縮された味がある。もう嫌味なくらい。そのなかでもこの桜雪を選んだのは、やっぱ曲の雰囲気もポップな美があるのだけれど、歌詞が美しすぎる。月光がきらきらと舞ったり、蜘蛛の糸から垂れた雫が描く水彩画だったり。色彩にならない色彩を持つことば達が踊っている。ひだまりの色彩を知っていますか?そんな歌。

風船

風船

 

 

6.ガーデン

どうしてこんなに世界観を作るのが巧いのこのバンド。って思う曲。シングル「涙がこぼれたら」のカップリングだった。なぜこっちがA面でないのか!と憤慨した。とにかく美しい。廃墟の美しさってあるじゃん。あれ。あれがこの曲にはある。完全なイメージだけども荒廃したモノクロの世界で真っ赤な薔薇だけが色彩を残しているありきたりな写真にたいな感じ。それを曲と歌詞だけであらわしちゃうもんな、すげぇよバックホーン。

涙がこぼれたら

涙がこぼれたら

 

 

7.ブラックホールバースデイ

コバルトブルーとセットでライブで演奏される印象がある。かっけえよ。なにをおいてもサビの長調である。恥ずかしいぐらいの長調。「信じていけば未来は変わるぜ」みたいなこと言っている。考えられない。「排水溝に詰まった羽の折れた天使の死体に精液をぶちまける」なんていう助詞の多い歌詞はいったい何処へ行く。けど泣けるんだ。これが曲後半のテンポ半分になるところで。てかそんなことをいつかの日記で書いたと思う。リンクしておく。

THE BACK HORNを聴いて咽び泣く三十路のあたし - まだロックが好き

ブラックホールバースデイ

ブラックホールバースデイ

 

 

8.シンメトリー

初期の曲が多い中、唐突にさいきんの曲を入れてみた。これめちゃ良い。たしかにバックホーンぽくないかもしれない。しかし曲の構成すごない!?サビからはいると思うじゃん?じつはこれサビじゃないのよね。でもそれだけのポテンシャルがあるメロディとハーモニー。なんかどっかでこんな曲あったかもな、とおもったらGLAYというバンドの「とまどい」に似ている。あれもサビっぽい感じで始まるのにサビは別途ご用意しております。みたいな。まだメインあんのかよ!もうおなかいっぱいだよ!つって食うと美味くて、ぜんぜん食えちゃったよ!みたいな。なんか文体が破綻瓦解してきたがそんな感じ。バックホーンぽくないと言われがちであるがそんなことない。「閃きの風に乗って」なんてメロディはバックホーンじゃなきゃ歌えない。すげぇ強いメロディだよ、あれ。

シンメトリー/コワレモノ

シンメトリー/コワレモノ

 

 

9.風船

桜雪を入れておいて風船を入れないのは愚行だとおもった。風船。なんでこんなに物悲しいのか。でも悲しみって美しいのです。それを教えてくれたのがバックホーンというバンドであった。最高に歌がへぼい。最初の歌から音程がずれている。でもそんなの関係ないのです。曲の構成する世界というものが完璧。圧倒的。この曲が最強なんじゃないかと思い第一位にしたかったのだけど、なんとなく浮世の目を考えて9位にしてしまった。てか羅列している曲は全部好きだからどれがいちばんとか決めらんないって。

 

10.幾千光年の孤独

谷川俊太郎みたいなタイトルである。メジャーファーストアルバム「人間プログラム」の一曲目を担う曲である。「人間プログラム」というアルバムがいちばん好きというバックホーンファンは多いと思う。私も高校生の時分ひたすら聴いた。アルバムの一曲目ってのはもちろん聴く回数が多くなる。ゆえに飽きる。じっさい私もこのイントロが始まると、また幾千光年かよ、と辟易していた。しかしこのパワーコードの力わざごり押しのリフがディストーションを得るたびに発狂して踊りたくなる。やばいさらにやばいばりやば。満員電車で聴いてはいけない曲。ちなみに、下手糞だけどこのころのテクニックでなく腕力で無理やりギターを鳴らしている栄純がいちばん好きだった。

 

11.8月の秘密

これを入れたかった。なんでって怪談的こわさがあるでしょ。かごめかごめの歌に通じる怖さがあるじゃん。ってなんで口語文なの。とにかく曲のピュアさと歌詞が好き。曲中盤のあいうえお作文とか最高。「ぼうくうごう」という単語が抱いている狂気は破壊と救済、非常と安寧の矛盾なんだとおもう。個人的にこの8月の秘密って「イキルサイノウ」の「幸福な亡骸」につながるような感覚があるの私だけ?8月と死だからかしら。同様の理由で「怪しき雲行き」も好きだけどあっちはなんだか滑稽なので却下した。

人間プログラム

人間プログラム

 

 

12.赤眼の路上

なんとなく烈しい曲をいれたかった。最近のバックホーンはリフに凝っていると思う。ギターリフ。バックホーンの楽器隊のメロディセンスというのはずば抜けている。どのバンドよりも卓越している。やはり歌を活かしたいという気持ちなんだろうか。とくにベースの岡峰はまじで巧い。なんであいつだけウィキペディアあんのか納得できる。赤眼の路上は「イキルサイノウ」に収録されている。上記で申し上げた楽器のメロディセンスというのは特に無い。けどこういう衝動的なのも良かったりする。曲はハネている。それは地べたを這うような見苦しい生き方を脱却しようともがき苦しんでいるような感がある。「ひょうひょうと」と迷ったのだがなんとなくこっちにした。理由はモダンだから。

イキルサイノウ

イキルサイノウ

 

 

13.初めての呼吸で

なんだかパワーワードというフレーズが世間を席巻しているようだ、と小洒落を入れてみたがなんでこんなこと書いているのだろうと大きな疑問符が私の頭上に浮かんでいる。なんやねん。パワーワードって。あれか「フィリピンばばぁ」とかはパワーワードなんねんか。となぜだか贅六調の言語になってしまった。「初めての呼吸で」。これもパワーワードな気がする。なんか強い。というか歌詞内部に「死んでやる、と飯を炊きながら日々を越える」という一文があるのだけれど、それがもう強すぎる。そうなんだよな、と思う。生への執着を無様にみせつけてくる一文である。そんなん、すてきやん。あとイントロがEーA-Dなので楽器の調律ができる。便利な曲なのでランクイン。

初めての呼吸で

初めての呼吸で

 

 

14.異国の空

さいきん、といっても2,3年まえだったか。B面集が発売された。その一曲目がこの「異国の空」だった。どうしてかこういったB面曲のほうが「THE BACK HORN」という感じがする。リア王とか出てくる。アップピッキングでギターの弦をすべらせるように鳴らす音が気持ちよい。あとやっぱりメロディが優秀なんだよなぁ。

 

15.砂の旅人

これは当時入手難度が高かった。オムニバスかなんかに入っていたと思う。静岡じゃ手に入らなかった。ゆえに思い出アシストもかかっている。が、これめちゃくちゃいい曲じゃない!?しづかなバックホーンである。がしかし世界の構築が巧い。なんかこればっか言っている気がするけれども。バックホーンの曲は映像的である。上記「異国の空」もそうなんだが一曲聴くと映画をひとつ見たような物語を見せられてしまう。それがこの「砂の旅人」にはある。烈しい破壊的な曲もうぎゃーって好きなんだがバックホーンの真髄は悲しかったろやさしかったりする世界の構築だと思う。

 

16.番茶に梅干し

ふざけたタイトルだが内容もふざけている。アコーディオンを弾き語るジジイとか、番茶に梅干しつぶして飲んだらうまいんだぜ、とか言っている。その一方でしかし奥深く叫んでいることが重厚である。バックホーンのメインコンポーザーはギタリストの菅波栄純という人物である。そいつを曲にしたらこの曲になる気がする。とてもシンプルなアンサンブルでギターとアコーディオンくらいしか鳴っていない。でもメロディが優しく、それだけで曲って完成してしまうんだなぁと思った一曲である。「生きたい生きたいって自分のことだけ考えている」という生命への執着が利己的な思想であると帰結してしまい厭んなる。そういう優しい人なんだと思う栄純は。

B-SIDE THE BACK HORN

B-SIDE THE BACK HORN

 

 

17.冬のミルク(初期)

(初期)と記載したのには深入りな理由がある。これリレコーディングしておりとてもきれいなバージョンがある、しかし私は音質が汚い初期が好き。なにが好きってイントロ。ギターのアルペジオとドラムの三点で始まるのだけれど、バスドラムがもたっている。遅れているのである。それは後ろめのリズムとかではなく確実に失敗である。笑える。「マツ、もたってんじゃん!」と友人となんど談笑したことか。ドラムは松田という人間でマツと呼ばれている。そんな思い出があるので初期の冬のミルクが好き。コバルトブルーが出てくるまではこっちが有名だった気がする。というかギターとか簡単なので演奏しやすかったのかな。飴の話ではない。

アサヒグループ食品 冬のミルク 80g×6袋

アサヒグループ食品 冬のミルク 80g×6袋

 

 

18.生命線

スリーコードのなんでもない曲である。単調である。そこで描く彼らのやりたいことというのが大変に汲み取れる一曲である。これはとくに言うことがない。しかしかっこいいものに理由なんていちいちつけてられますか。めんどうくせぇ。聴くがよい。

生命線

生命線

 

 

19.花びら

意外なセレクトである。バックホーンのなかでもめちゃんこポップな一曲である。ハーモニカなんて吹いちゃってどうしたの?と訝ってしまう曲である。これは「イキルサイノウ」というアルバムに収録されているのだが、その前作「心臓オーケストラ」にて収録した「夕暮れ」からどうした!?と思った。その延長である。生活感あるバックホーン。パステルカラーの歌である。なんでこれが好きか、っていうとこれもまたボーカルの将司のいい声が響いているから。とてもきれい。いい曲。

 

20.フリージア

セルフタイトルアルバム「THE BACK HORN」というアルバムに収録された曲。変拍子とかどうでもよい。とにかくこの曲、ギターが泣いているのである。ぶっちゃけてしまえば栄純って上手なギタリストではない。というか下手である。ギターという楽器の概念がいわゆるギタリストしは違っていたのかもしれない。そんな栄純が。そんな栄純のギターが泣いているのである。ギターソロである。俺は驚愕してしまった。そして笑った。栄純がいつも俺を笑顔にさせてくれる。そんな曲だからリストにいれました。

THE BACK HORN

THE BACK HORN

  • アーティスト: THE BACK HORN,松田晋二,菅波栄純,山田将司,岡峰光舟,林慶一
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2007/05/23
  • メディア: CD
  • 購入: 2人 クリック: 24回
  • この商品を含むブログ (74件) を見る
 

 

21.世界中に花束を

2011年の大震災でバックホーンは早めに動いたバンドのひとつだと思う。そんでこの曲を出した。もちろん売上金は寄付という形だった。念が篭っている曲は強い。やっつけで作ったような曲ではなかった。とにかく思いは溢れる曲だった。文句のつけようがなかったし、この曲を発表してくれてうれしかった。

世界中に花束を Live at Zepp Nagoya

世界中に花束を Live at Zepp Nagoya

 

 

22.晩秋

インディーズのときの曲である。もともと歌詞がとても好きであった。しかし上記 「世界中に花束を」とともに復興支援の福島ライブで演奏していたのを見てもっと好きになった。ただなんでこの曲やったの?とは思ったが。このころのバックホーンは和っぽいメロディが多かった。「何処へ行く」と迷った。けどこっちを入れてみた。いい曲だと思う。

何処へ行く

何処へ行く

 

 

23.美しい名前

烈しい曲をもっと入れとかなきゃ!と義務感があった。なので「魚雷」とかいれようとおもったけど「美しい名前」はやっぱ泣ける。とても幼稚な表現で羞恥を覚えるのだが、泣ける。ドラマとかのタイアップになったら売れたと思う。あからさまな曲だけど名曲の部類に属すると思う。

美しい名前

美しい名前

 

 

24.悲しみの果て

エレファントカシマシのトリビュート盤がでると聴いて、エレカシをカバーするなんて身の程をしらないバンドどもめ!と思った。そしたらなんとバックホーンが悲しみの果てを演奏していた。これは聴かないとと思った。聴いた。なんだこれ…悲しみの果ての「ダダッ、ダダッ」が無いじゃないか!栄純の好きなテンションコードでおしゃれにしてんじゃねぇよ!痴れ者!バックホーンのばか!と思ったのだけどちがった。やはりバックホーンはすごかった。裏切らなかった。私はバックホーンをもっと好きになった。「春よ、来い」がカバーとしてランキングされているようなので「悲しみの果て」も良いよ。と言いたかった。

エレファントカシマシ カヴァーアルバム2~A Tribute to The Elephant Kashimashi~

エレファントカシマシ カヴァーアルバム2~A Tribute to The Elephant Kashimashi~

 

 

25.ひとり言

インディーズの時の曲である。この曲も好き。というかバックホーンはけっこうなんでも好き。ただ私がよく聞いていたのは高校の時分だったので、その時季の曲が多くランクインしている。

正直「パスル」、「アサイラム」はあまり聴いていない。「リブスコール」でいいな!とまた思い、「暁のファンファーレ」でやっぱバックホーンすげぇ!と思い「運命開花」でおや?と思ったのが私の本心である。

暁のファンファーレ

暁のファンファーレ

 

 

バックホーンは長く活動している。1998年結成となっているので2018年には20年活動していることになる。よって楽曲に幅がある。世代を感じる好きな曲だと思う。個人的にバックホーンぽい曲を堪能したいならベストよりもB面集が良いと思う。もちろんベストも良い。はじめて聴くバンド、とくにバックホーンのように活動が長いバンドはベストを聴くのが手っ取り早い。アルバムのおすすめは「ヘッドフォンチルドレン」がいちばん良い。そうおもっているが、日本の歴史に残るようなアルバムは「イキルサイノウ」だと思っている。「イキルサイノウ」のアルバムとしての完成度はすごい。

このおすすめ曲も20でやめようとおもったのだが、アルバムの曲目を見ているうちにあれもこれもと入れたくなっていしまった。そして中途はんぱに25曲となった。

バックホーンは良いバンドである。しかし好き嫌いは分かれるバンドではないかな、と思う。けど私は好きだ。それは青春であったというのもあるけど最近はこういった熱いバンドは少ないと思う。絶滅危惧種バンドである。

 

という約7000文字近い私のひとり言でした。

 

BEST THE BACK HORN

BEST THE BACK HORN