まだロックが好き

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まだロックが好き

アラサーです。 ふだんはサラリーマンをしています。 元バンドマンです。 高校から一緒の妻と、2014年に生まれた息子がいます。 趣味でまだバンドをやったりしてます。 まだロックが好きです。 そんな日記です。ブログではありません。 日記です。

NHK放送番組「えいごであそぼ」という日本語誤用タイトル

まじめな話であるが基本的に私はまじめなのでふざけた話など無い 日記

 

Study

憤慨している。ただちに釈明をして頂きたい。場合によっては訴訟も辞さない。情状は酌量する。

 

「えいごであそぼ」というテレビジョン番組がある。

日本放送協会が、幼児の早期英語教育の一貫として、簡素な英語を会話に多用するスタイルをとり、幼少期が大事である、となにが根拠かわからないが「英語に耳を慣らす」ことが後の異国言語の習得に大いなる影響を与える、という、これもまた一種の「メディアが扇状的に国民の不安を逆手にとることで視聴を促す」番組であるが、前文の被害妄想ごときは、私個人の、うがった世界の見方をしてしまう性根の腐敗具合がもたらすものであり、この腐り具合は、かつて就職活動時の社会的適性を調査するマークシートで、「だれかが私を陥れようとしている」という、絶対に「とてもそう思う」を選んではいけない、と思わせるこの設問自体がトラップとして機能し「これは素直に選ばないと、逆に虚言を呈しているのでは?」なんて思案を巡らせては筆記具をひっかけてしまう私的な心の悪しき習慣であるので、一般的にこの番組はそんな早期教育を別途にしても、幼児が観覧するさいに、たいへん彼らの興味をそそる、娯楽の一つとして確立した番組である。

端的に言えば、おもしろい番組です。

 

そんな「えいごであそぼ」であるが、このタイトルに私は物申したい。

つまるところ、「あそぼ」の「ぼ止め」である。ただしい表記は「あそぼう」ではないのか?という器の小さな発言である。解っている。ちっちぇえ文句である。ずうたいがデカくなるとともに性格が小さくなっていった。

 

が、しかしこれは幼児の教育を主だたせているその日本放送協会の方針にそぐわないのでは?とも思うので言いたい。叫びたい。

たしかに、文字の表記は口語が先んじている。いわゆる「原初に言語ありき」である。つまり口語体を文章に記すことが正義であり、文語体に口語を正される、というのは本末転倒な事象である。

この番組がターゲットとするのは幼児である。たしかに幼児は友人を遊戯に誘惑する際「あーそーぼー」という。「あーそーぼーうー」ではない。それは語感が悪い。

しかしなるほど、えいごであそぼ。英語とは表音文字であり、意味を音で表現する。ほうほう。ははーん。そうゆうことか。

ここで「そうゆうこと」を文語体表記「そういうこと」と記載するかのごとく、「あそぼう」の「う」の発語は上記文語体に口語がひっぱられる現象であり、「あそぶ」つまり「プレイする」、というたいへんカジュアルな言語の意味に堅苦しさを与えてしまう。これはおかしい。

だってあそぶとは本来、余暇。もっと軽率なものである。なので気軽な遊びに誘うさいは「あそぼ」が正しいのでは?

 

この気軽さを例えるならば、ナンパである。

ナンパの最終目的地はやはり交配行為であると察せられる。これを誠心誠意おのれの欲望をままに伝えるのであれば、「あなたの身体に欲情している。というか、誰でもいいのでぶちまけたい。茶会でも催し、いや酒飲んで交流を深めようか?淫行前提で。」と問答するのは阿呆の極みである。だれもついていかない。

なので人間は考える。もっと軽くいったほうが相手もノリやすいのでは?と。だから人はこう言うのである。「ちょっとお茶しませんか?」と。軽い発言には軽くついていける。「ちょっとくらいならいいけどー」である。

軽さVS軽さ、は見事な均衡のうえ、商談が成立しやすいのである。

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またライトな提案というのは、双方にとって「断る」という行為のダメージが少ない。

まず提案者側であるが、やはり断られると人は傷つく。かなしくなる。

とくに遊びたい理由を明言してしまったとき。

「私は余暇をもてあましている。なので貴方と戯れたい。それは私が貴方と一緒にいるのがたのしいからである。これはもしかしたら一方的な好意なのかもしれないが、私の楽しさを貴方も感じていると信じている。というか余暇って嘘。貴方のために時間を作った。だから仲良くあそびましょ。今後の交際に発展するかもしれないし。」

これに対する、

「やーだーよー」

は、ほんともうきつい。回りまわって私の好意を否定されてしまった気持ちになる。告白してないのにふられた気分になる。死んでしまいたくなる。

だからこそのライトな「あそぼ?」である。

「ちょっと明日暇になったんだけどあそべる?いや無理ならいいんだけどさ笑。」

これに対する、

「やーだーよー」

これならばまだ立ち直れる。「そっか笑。そうだよね!急にごめんね!また今度!」となれる。なんだかまだ可能性がある、と信じていられる。

かかる理由により、受け側も重く話されるよりかはライトに誘って頂きたいと思っているはずである。重苦しい好意はもっと親交を深めてから言ってほしい。せめて最初のキスは3回目のデートからにしてほしいのと同じである。

 

要するに「えいごであそぼ」の「ぼ止め」はアリなのでは?あ、そう思ってきた。ははは、なんだそういうことなんだね。あそぼ!の軽々しい感じ、好きだな!と思いまして、この日記は円満に終わるのです。

が、しかし。

「にほんごであそぼ」とかゆー番組タイトルはどうかと思うのです。

日本語で遊ぶ。なんとも風流です。俳句なんてのは言葉遊びの最たるものです。いとをかし、ですね。

しかし日本語で遊ぶなら日本語のマニュアルをしっかりと把握すべきなのです。ただしい日本語を使わないとこんな日記を書く羽目になりますよ?

この「にほんごであそぼ」は確実に「えいごであそぼ」のタイトル感にひっぱられている。後発の番組であるので仕方ないが「遊びごころあるでしょ?」的ニュアンスが鼻につく。それが如実に展示されている以下の

 

にほんご

であそぼ

 

の縦を揃えた四文字づつのタイトル。これがめっちゃむかつく。製作者の遊び心で、その顕示欲で、オシャレな感じで、学ぶべきただしき日本語が崩壊してもよいのか!?

 

ということで日本放送協会からの釈明を待つ。

待ってる間はひまなので、だれか私とあそぼ?