まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

羽生市さいたま水族館へ行った

 

幸せになりたい。

これは「なんかいいことないかなぁー」て感じの漠然とした願いでなく、切実である。私は切実に幸せを手に入れたい。

その切実さゆえ、幸せを探しに水族館へと行く運びと相成った。家族の行楽というのは「幸せ」を伴うからである。

 

場所は羽生市さいたま水族館である。私の住居からハイブリッドカーで1時間たらずの距離である。

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ここで苦言を呈したい。またである。私はこういうことがいつも気になるのである。それは「さいたま水族館」の名称である。

本来「さいたま」の名を冠するのであれば、さいたま市にあるべきである。しかしここは羽生市。埼玉県内、市の合併によりひと悶着あった結果の「さいたま」表記である。

それをば、羽生市が手前どもの施設に「さいたま」を冠することはこれつまり虎の威を借る狐であり、狡猾である。なぜならさいたま市というのは埼玉県内では洗練された都市型の名前であり、さいたまと名付けるだけで規模が大きそうで、なんかいい感じに見えるのである。でも「はにゅう水族館」じゃ誰もこないもんね。それじゃあなんだか小規模感がすごい。

 

そんな感じで「はにゅう水族館」へ行った。よく晴れた気持ちの良い土曜日の午前のことである。

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あ、けっこうするな、と思ったら年パスであった。しかし年パスで1030円は安いな、と思った。視点を変えれば世界が変わると思った。

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断言してしまえば、さいたま水族館のピークは水族館へ入館する前の溜池である。我が家の2歳の血族はここがテンションの絶頂であった。なぜならば溜池内の魚類に餌撒きをすることが可能であるからだ。

飼育というのはさまざまな工程があるが、やはりメインの柱であるのは食事の投与である。「飼」は食を司る。それを客にさせ、さらに金品まで巻き上げるとは見上げた根性だ。こんなもんに金など払えるか。私はそう思った。しかし私を見上げるわが子の純真な眼光に屈し、餌撒きをすることになった。

しかし魚の餌は50円。昭和初期であれば学校教師の初任給である。私は現代病のワーキングプアーであるためそんな大金を持っていない。どうする。

私は悔いた。己がいままでしてきた怠慢を後悔した。もっと規則正しい生活をして勉学に励み、孝行をし、一流企業に就職してもっと金銭を頂戴したかった。しかし時は戻らない。ゆえに願った。強く願った。もし神がいるのなら、この子だけでも幸せにして欲しい、と。

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そのときである。青天の霹靂とはまさにそれで、私の眼前を一筋の閃光が奔った。刹那、暗雲が立ち込め、禍々しい空気と風が周囲を包んだ。気がつくと目の前には大きな龍神が中空に停滞していた。そしてその龍神は人語を放った。「さぁ願いをいえ。どんな願いもひとつだけ叶えてやろう」

鯉が龍になる、というのは話に聞いたことがあるし、ポケモンでもコイキングがギャラドスになった。それでもこの眼前の世界が信用できなかった。その問いに、私はありのままの気持ちを伝えようとした。しかし突飛なこの状況でうまく言葉がでるはずもなく、心中はそのまま唇からこぼれた。「幸せになりたい」。

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気がつくとわが子の手中にはプラカップがあった。それには魚類の餌がはいっていた。良く晴れた土曜の午であった。なにごともなかったかのように世界は回っていた。不思議な感覚が胸の袂に残っていた。まさに白昼夢とはこのことであるな、と思った。2歳の息子はとっても楽しそうに餌撒きをしていた。そんな楽しそうな息子を見て私の心は幸福感でいっぱいだった。

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さいたま水族館は「河川」をテーマにしている。なので川の生き物メインである。それは上流から下流へとながれる一貫を館内で表現しているのであった。

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水族館みたいなくらいところで写真をとるのはむずかしいですね。

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亀がいた。接触できた。ちなみにザリガニもおわした。

私はできればこういうのは触りたくない派閥に属している。それは生物がこわい、ということでなく、生物に触ることで付着するさまざまな微細な汚れが厭なのである。

なぜかといえばその微細な汚れには善悪混交のさまざまな菌が含まれており、その菌による感染症などがこわいからであって、つまるところ生物がこわい、ということではあるが、断じて亀やザリガニが怖いわけではない。しかしこの説明はそこそこ長いので略して、こわいから触れない、と言うことにしている。

息子は亀に赴きが向いたようなので私は仕方なく両の手で亀をつかみ取りした。直後、めっちゃ手を洗った。

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なにを映したのか。一見すると謎であるので説明したい。これはムジナモというらしい。つまり藻であり、植物である。以下拡大である。

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ありのままの気持ちを吐露した表現をすればゴミみたいだな、と思う。しかしこれは天然記念物となっているほどの絶滅危惧種のようだ。また栽培も難易度が高く、愛好家によるとめちゃめちゃすごいらしい。

ただ専門家外にスティーヴルカサーのマルチプレイヤーぷりを説明するのは難しい。それと同様で、正直なにがすごいんだかよくわからなかった。もうすこし歳をとったらすごいと感じるのかもしれない。つまり私の経験値がたりなかたっただけである。ただこれをメインに据える度胸はすごいな、と思った。

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小規模な水族館である。またテーマは「荒川の水生生物」なので、ど派手な生き物はいない。ペンギンとかラッコとかいない。シャチやサメや伊勢海老もいない。逆に居たら困るし恐怖である。オオサンショウオウは居た。でかかった。恐怖である。しかし「まぁこんなもんか」と、すこししょんぼりしてしまう結果であった。 

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さいごにこんな、いかにも写真をとる場所ですよ的なところがあった。なので写真を何枚かとった。 いい写真が撮れたとおもう。

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帰りにうどんの喉越しでも楽しんで帰ろうじゃねぇか、と思ったが息子が入眠状態に陥ったのでそのまま帰路についた。

思い出とは不思議なものである。おいしかった飯屋よりもまずかった飯屋のほうが印象に残る。 そんな感じで「なんかあんまだったね」なんて言って帰ったが、頭のなかには思い出という目に見えない充足感でいっぱいだった。入館料には見合った内容であった気がする。あと施設はとてもきれいでした。

ムジナモに趣向を感じるレベルに達したらまた行って、妻と「やっぱあんまだったね」とか言いたい。楽しかったです。

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さいごに加齢による足腰の弱体化が隠蔽しきれない一枚を掲載しておく。