まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

みんな静岡おでんにだまされてないか

 

 

テレビで芸能人が静岡おでんとかいう食い物を口に運んでいた。私はなんだか、アフリカに行って土着民族に薦められるがままタロイモを練り固めたやつを口に入れられる世界うるるん滞在記のような錯覚をおこした。だってあれってそんなうまいもんじゃない。

 

私が誕生育成された土地は静岡である。上京してからもう10年以上経つ。そしたら風の便りで声を聞いた。それは「静岡がおでんの国になっている」と叫んでいた。いつのまにか「しぞーかおでん」とか言いはじめていた。私は恥ずかしくなった。名物におでんをチョイスするセンス。みかんは愛媛、茶は京都、富士山は山梨に剥奪され残ったものは「おでん」。そして「しぞーか」ってネーミングのセンス。たいへんな恥辱を覚えた。

 

上記で「うまいもんじゃない」と書いてしまったが、たしかに味覚の嗜好は人それぞれである。パクチーをうまいと思う人もいれば、まずいと思う人もいる。好きはそれぞれで持っていていいと思う。クラッシュの名盤は一般的には「ロンドンコーリング」だが、私は「サンディニスタ」が一番好き。そんな具合に、好きには個人の定規がある。だからすみません。言い換えさせて下さい。「静岡おでんってそんなに名物になるもんじゃない」と思うのです。

 

静岡人にとって「おでん」とは呼吸なんだよ。勝負時、心身を落着するためのはじめの深呼吸みたいなもんなんだよ。そういうもんなんだよ。

 

私は幼少期、祖父母の家の近場に「とり福」という大衆食堂があり、そこによく足をはこんだ。そこは定食、焼き鳥、魚がおいしく食べられる地元民に愛される場所だった。私とおでんの出会いの場所でもあった。「静岡おでん」が一般化している今、説明不要であると思われるが、静岡のそういうことろにはおでんが常備されている。とり福も例にもれず常におでんが湯気を立てていた。

 

とり福に着く。まず注文をする。料理が来る前にじいちゃんの注文した焼酎が運ばれてくる。私のコカコーラも運ばれてくる。そしたらおでんのプールに向かう。黒く煮え立つ煮汁の端には茶色い灰汁が踊っている。どれでも一本80円(60円だったかも)。おでんを引っ張りあげる。こんにゃく、たまご、だいこん、牛スジのアラカルトを作る。渋みのある煮汁の香ばしいにおいが食欲をそそる。お好みでだし粉をかけたりお味噌をかけて食べる。しかし子どもの私はだし粉が苦手だった。なにも付けなくでもうまいのでそのまま食べていた。それを食べて料理が運ばれるのを待つ。おでんとはそういうもの。

 

高校生になると祖父母ととり福には行かなくなった。友人たちとの付き合いが増えるからだ。高校の近くの「大やきいも」という甘味処があった。大やきいもでカキ氷を食べるのがちょっとしたイベントだった。しかしそこにも「おでん」は在った。漆黒の煮汁の中で、しづかに沈殿するおでんもいれば、たのしげに遊泳しているおでんもいた。「おでんのある大やきいもでカキ氷を食う」というのもなんとも混沌とした一文である。

 

しかしこれが、私と、ひいては静岡人とおでんの距離である。

 

畢竟、私が言いたいのは「おでんはメインじゃない」ということである。メインに据えて食うもんじゃない。腰を据ええて「さぁいただきます」ってもんじゃない。ちょっと小腹のたしにひとつまみいただきますか、ってな具合の食べ物なのである。なんとなくそこにあるから「つなぎで食う」ってものなのである。でも、 いつでもそばに居てくれる食べ物なのである。「おでんがそばにいる」というのもなんとも迷乱する一文である。

 

メディアで静岡おでんが取り沙汰されると、なんだか恥ずかしい。それは同級生だったやつが芸能人になってしまったような感覚がある。液晶画面の向こう側。テレビジョンの中ではにかむおでん。おまえそんなやつじゃなかったじゃん。もっとおちゃらけた気軽なやつだったじゃん。勉強とかぜんぜんできない芋だったじゃん。そんなに演技もうまくないのに、なんで佐々木希の隣にいるんだよ。と、嘲笑交じりに罵倒したくなる感じ。それは嫉妬なのかも。

 

そんな感じです。私は静岡おでんを食べて「うまい!」とか言っている人を見ると、たいした実力も無い役者を「自然な演技で素晴らしい」とか言っているふうにきこえるのです。だってあんなのただのおでんですよ。それはおでんの延長でうまいだけであって、おでんと牛丼比べたら、ぜったい牛丼のほうがうまいですって。だから静岡おでんを食ってうまい、とか言っている人は基本的に信じられない。ただ「名物」というスパイスを感じているだけにしか見えない。

 

それでも私はとり福に言ったらおでんを食べる。大やきいもに行ったらおでんを食べる。それはみんなが食べる名物「静岡おでん」なんかじゃない。いつもそばに居てくれた、あの「おでん」だからだ。

静岡おでん 3パック

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