まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

学校教育はまじで「ボールペン」を導入することを検討すべき

 

 

息子の保育園の連絡帳を書いている。

なにを食べたとか、何時に寝たとか、おうちのでの様子とか。この「おうちでの様子」というのに難儀している。というのも、文章にせねばならないからである。なぜ文章にせねばならないと難儀するか、というと私の書いた文字はとてもへたっぴだからである。

 

とにかく「ひらがな」が難しい。なんなんだあの曲線は。バランスは。「を」なんてじっさい「ち」と「と」を一緒に書いているようなもんですげえむずかしい。しかも「を」って助詞として使用頻度が高い。対して私は「め」とか「ぬ」が得意である。「を」の替わりに「め」が助詞だったらなーと思う。願う。「今日は公園で鉄棒しました」って具合に。なにいってんだこのおっさん、とか思わないで欲しいですが。

 

意外と書きやすいのが漢文字である。通称漢字。舶来文字。画数が多いとなんとなくのバランスでごまかしが効くことに気がついた。たぶん漢字を発明した人はひらがなを書きたくなくて漢字を発明したんだと思う。

 

しかし聞いてほしい。言い訳をさせてほしい。へたっぴなのはボールペンという手段を講じたときのみなの。包み隠さず話すならば私は書道の腕前は確かなの。忘れたけど段とか持ってる。でも弘法は筆を選ばない、っていいますよね。言いますけど弘法大師だってきゅうにボールペンで書け、なんていわれたらたぶん下手糞ですよ。

つまり、大人になって急にボールペンを使う機会が増えたことに私は問題意識をもっているのです。

 

公文書にも使用できるボールペンが社会で使用される理由はわかる。消せないからだ。消せる奴もでてるみたいだけどあれって公文書に使っちゃいけないんでしょ。

この消せないボールペンを使用するというのは「働く」ってことにおいてとても哲学的だなと思う。つまり「消せない」ニアリーイコール「ミスを誤魔化せない」ということであって社会人たるもの、小さなミスでも命取りになるよ!ってことを、ボールペンが物語っている。

 

しかし我々はボールペンビギナーである。義務教育では黒鉛、つまり媒体としてはえんぴつ、シャープペンシル、ロケットえんぴつなどを使用しており、ボールペンにおいては知っているけど使ったことはない、という男性にとってのブラジャー、オートマのニュートラルギア、冷蔵庫のいろんな機能をもった謎の小部屋みたいな感じで使い方なんてわかんないのである。そんなもの説明書なしに使えるかよ!

 

だから学校は無駄にえんぴつなんか使わないで一発目からボールペン縛りをすれば良いと思った。思ったゆえに主張している。だってそしたら日本中みんなの字がきれいになって、字がきれいだと心まできれいになって、心がきれいだと平和になって、ってな具合になって天下は泰平となるわけである。なんだか自画自賛だが、たいした演繹だな、と思った。

 

そんなわけでさいきん夫婦でボールペン字を練習している。

30日できれいな字が書けるペン字練習帳 (TJMOOK)

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30日で、ってとこが懐疑的だが、なにごとにもチャレンジしていきたい。ってか字が上手になりたい。そんなこんなでやっている。やっているけど4日目の昨日はさっそくさぼった。成果はまたブログで報告できたらいいな。