まだロックが好き

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夢破れたサラリーマンがおめおめと生きている日記

結婚生活と我慢とショウロンポー

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昨日、妻と瑣末なことで口論になった。

 

口論は熾烈をきわめ肉弾戦となった。核エネルギー級の力は均衡した。それは世界を破滅にみちびいた。瓦解する拙宅。うごめく大地。崩壊するビル郡。噴出すマントル。割れる大海。地球はもうめちゃくちゃだ。

それは世界中で死者約50億人、重軽傷あわせて約20億人の大災害と発展した。世界はほぼ滅亡している。アルマゲドンも気に病むレベル。私はこの責任をとるために、世界中にちらばる七つあつめると願いが叶うといわれる玉をあつめ、龍神を召還した。そして願った。「この喧嘩をなかったことにしてくれ!」って感じで実は、あなた、いっかい死んでるんですよ。って私は誰にむかって言っているのでしょうか。

 

原因は私にある。ははは。言ってしまった、言わなくてもいいことを。さいきんお小言がすぎませんか?と。いつもなら言わないんだけどね。

 

しかしごらんのとおり、私はいま風邪をひいています。弱っているのです。それは体力的なこともあれば精神的なこともありーので相乗効果を発揮しているのです。だからそんなときにぶつぶつと文句を言われると「あー、もー、まじそういうのストレス。やめてくんない?さいきんずっと我慢してんだけど」ってこれは一言一句そんな感じで言ってしまったのです。いやなかんじでしょ。嗚呼反省。

 

妻はがんばっていると思う。うだつの上がらぬ私と婚約し、共働きの宿命を背負った。そして2歳の子どもの世話をしてストレスが溜まっていると思われる。だからか、さいきん小さな文句がとても多い。今回のそれは食洗機の使用方法についてであった。

 

さいきんずっとである。息をするように妻は文句を言っていた。しかし私は我慢した。なぜなら妻にはストレスを溜めてほしくないからである。言いたいことを言って解消できるストレスなら私が我慢すべきだ、と思っているからである。妻には幸せでいてほしいのです。というか、

 

しかし私のなかでも積もり積もっていたのでしょう。そして風邪っぴきのマイナス思念がブレンドされてついつい鬱積を爆発させてしまった。

 

妻はそれを言われたとき、むかっ腹が立ったようでぷんすかしていた。私はしまった、と思い周章狼狽した。しかししばらくして妻は自覚症状があったようで最終的に紅涙をしぼった。私は罪悪感に苛まれた。

 

ディスカッションをした。

妻はいった。「溜め込んで言うよりは普段からちょっとずつ言ってほしい。一回の発言が大きすぎる。」

つまり妻は私の発言の「ずっと我慢してた」ってところにひっかかったご様子であった。お互いに言いたいことは言うべきである、ということでしょう。

しかし私的にはそんなことをちくちく言っていたら、それはそれでずっと険悪になる、なぜなら彼女は頑固一徹。そして私は狷介固陋である。なのでゆえに言いたくない。それなら我慢してたほうがましである。また地球を破壊するつもりか。

だから私は、「本日は体調が悪くてちょっと受諾しきれなかっただけ」と言明した。「だから別に言いたいことは言っていいよ」ってことも陳述した。いつもたいした文句ではない。つまり、私の忍耐>妻の小言、って感じなのでいつもはたいしたことはないのである。

 

かくなる具合に記載すると、我慢する夫、傍若無人な妻、みたいな対比がなされるかもしれませんが、そんなことは一切ない。妻に我慢してもらっていることもある。なぜなら我々は、しょせん、他人だからである。

 

でも他人なのに好き、思い合っている、っていうのがすごいと思う。すごいと思う、って一文がすごく小学生みたいな感想ですが。

科学の力で血の力は証明できる。つまり私と息子の絆は科学で証明できる。しかしその血の力ではない、つまり愛の力、ラブパワーってかんじで、なんで英語で言い直したの?ってかんじですが、科学の力では解明できないもので支えあっているってのがすげぇ!って思っている。

 

しかし夫婦生活に我慢は必要なのかな、と思った。まぁ必要である、と思う。しかしそれも含めたうえでの夫婦生活ではないだろうか。

 

それはショウロンポーの食べ方に似ていると思った。

ショウロンポーという名の中華料理がある。小麦粉を練って生成した生地皮に、挽肉や葱を刻んだもの、さらには熱々のスープが包括されている蒸し料理である。

あれってそのままがぶっと食べたら火傷するじゃないっすか。含有液ぶしゃーって。それで「なんなんだショウロンポー!」ってのはショウロンポーに失礼極まりない発言であると思う。つまりそれはショウロンポーの食べ方を知らないから火傷するわけであって、ちゃんと嗜み方を知っていればいいわけである。

つまりショウロンポーを蓮華にのせ、包み生地の終着点を突起させたショウロンポーの頭部をかじって切断、内部のスープを蓮華に溢れさせつつ冷ましながらすすり、最終的にがぶっと行く、ってことを知っていればいいわけである。

 

「我慢しあわず言いたいこと言っていこうね」って理想的。きらきらしている。そんなふたりがいればいい。でも現実そんな相思相愛ってすくないと思う。我々だって結婚生活5年目。付き合ってすでに12年たっている。それでもこうなんだもの。

 

だからショウロンポーの内容液がここで言う「我慢」である。我慢は基本的に存在するものであって、ショウロンポーの食べ方、つまり結婚生活の嗜み方を知らなければ、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立て火傷を負い、傷を負い、悲しみにくれてしまう。

しかしショウロンポーの嗜み方を知っている御仁はかかる具合に、ショウロンポーを味わい、楽しみ、至福の時をすごせる。

 

ここでも問題なのは、ショウロンポーの食べ方を知らなければ結婚生活は送れないのか?ということである。だが、そんなことは断じてない。むしろショウロンポーの食べ方を知らず、なんど火傷し、傷を負い、かなしみにくれたとしても、それでもショウロンポーを食べたい、と思う人こそ、ショウロンポーへの愛が深いということなのだから、である。

 

つまりそれは、って言い直すのが野暮であるが、どんなに喧嘩しても我慢してまで一緒にいたい、と思える人だから、みたいなことであって、なんか無理やりっぽいけどそんなことを考えた夜でした。

 

だからより巧く、そのショウロンポーを食べられるようになりたい。私はショウロンポーが大好きである。たまに食べ方を失敗して「なんなんだショウロンポー!」ってなるけど、それでもショウロンポーを嫌いになることはないのです。

 

 

とりあえず龍神の力によってこの喧嘩はなかったことになっているはずなので虚心坦懐、よかったです。今後はショウロンポーを食べるように夫婦生活をうまくやっていきたいです。