まだロックが好き

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夢破れたサラリーマンがおめおめと生きている日記

ツイッターの「いまどうしてる?」に答えてしまう

 

じつはツイッターなんかもやっている。なぜかと言われれば、それはやっぱりブログのプロモーション活動、とか思ってたけどツイッターってやっぱ面白いっすわ。手軽で気軽で上がる。

 

身の程を知らぬ行為であるかもしれない。しかしたまにツイッターに人生のチップスを垂れ流そうかな、なんて思ったりしている。私だってもう大人だ。それなりに経験を積んだ。この生き方が誰かのヒントになるかもしれぬ、と僭越ながら思ったりしている。30歳。おとなの余裕を陳列したいのである。

 

ゆえに「じゃがいもの毒はなめてるとやばい」みたいなことを書こうかなと思ったりする。「日常の毒でいちばんやばい」とか書きたいのである。しかしそれがうまくいかぬ。それが私が背負ったカルマなのである。

 

ツイッターに書き込むさい、ツイッターのアプリをひらく。そしてアプリ内の書き込みボタンを押してかきこむ。すると書き込み欄がスマホの画面にひろがる。しかしそれが私にとって悩みである。なぜ悩みかというと、書き込み欄にすでに文字が書いてあって、その文言が「いまどうしてる?」だからである。

 

質問には答えなければならない。それが大人のマナーである。しかも友人知人親類の少ない私である。そんな私に「いまどうしてる?」なんて聞いてくれる人いますか?だからちょっとうれしい。嬉々として答えたくなる。んーまあまあだよ。アイム曹操!なんて具合である。

 

しかしタイミングの悪いことこのうえない。なぜなら私がピコンと思いついた人生のチップスをツイッターに放出しようと思ったときだからである。そんなときに「いまどうしてる?」と問われる。なので自分の置かれたこの状況を告白する。そうすると、なにを書きたかったのかを忘却してしまうのである。つまり私のチップスが消え失せてしまう。せっかくツイッターしようと思ったのに。ところでチップスとツイッターが列するとチップスターに見えますね!おいしそう!

 

よってそのときしていることを書いてしまうのである。「サンバを踊っている」とか「火の輪をくぐっている」とか「深田恭子について思案している」とか書いてしまうのである。しかしこれは嘘である。

 

だってじっさいは書いている。つまり「ツイッターに書いている」が真実である。

だから上記は、

「サンバを踊っている。サンバのリズムは地球のリズム。私は地球とひとつになっている。それをツイッターで報告したくなったのでツイッターに書いている」

「火の輪をくぐっている。というかくぐった。命を顧みず。この命が誰かの感動になれば良い。義をもってくぐる。そんな報告をしたくってツイッターに書いている」

「深田恭子について思案している。この思いが深田恭子に伝わったら赤面してしまうが、それでもいい。貴女がほしい。そばにいるだけでいい。貴女のためなら命も惜しまない。そんなラブレターを書いている」

なんて具合になるべきである。

 

しかしおかしい。誰も彼もそんなことを書いていないのである。みんなツイッターの「いまどうしてる?」をシカトしているのである。みんなツイッターの問いを無視して「あきらめることは悪ではない。あきらめたことを無視するのが悪である。みつめろ。自分のあきらめてきたことを。」とか書いているのである。みつめるべきはツイッターの「いまどうしてる?」ではないのか。

 

それでもツイッターはツイッターユーザーにいつも問いかけるのである。「いまどうしてる?」と。

 

健気である。いぢらしい。抱きしめたくなる。私の脳内ではツイッターは幼女に擬人化している。無垢である。ピュアである。白いワンピースの毛唐の幼女。麦わら帽子が良く似合う。なまえはクララベル。そんなクララベルからの問いかけを無視して己のあきらめを無視するなと言う。人とはいったいなんなんだ。残忍で怠慢ないきものではないか。

 

また、その問いかけが「なにしてる?」の動作を尋ねるのでなく、「どうしてる?」と状態を尋ねてくるのもたいへん慈愛を感じる。そうだよね。病気で床に臥している御仁もおられるかもしれんもんね。労わりの気持ちが汲み取れる。クララベル・ツイッターちゃんはやさしい、とっても良い子だと思う。

 

なぜみんな彼女を無視するのだろう。そうして私は気付いてしまった。たぶんまだ誰も気がついていない。大発見であるかも。つまりツイッターには文字制限が存在するのである。それはたった140文字である。140文字で自分の現状を説明せねばならない。これはたいへん難儀なことである。

 

つまり前述の「とツイッターに書いている。」を書くことが前提となるならば、句読点含めこの13文字を前提としなければならないということであって、つまり書きたいと思ったことは140マイナス13イコール127文字しか書けないのである。

 

だからおそらく、みな、「とツイッターに書いている。」と句読点を含めて13文字、それを省略しているのでは!?みなツイッターちゃんに悪いとおもいつつ、しぶしぶ述語を省略しているのでは!?つまり今更こんなことを言っている私が無粋であり、たいへんな痴れ者ということ!?ああなんたるピエロであろうか。気がついた私はいま、自分の愚劣な魂に辟易しているのである。

 

と、おもって日記に書いている。

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