まだロックが好き

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夢破れたサラリーマンがおめおめと生きている日記

日記が書けない

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圧倒的な才能というものがある。それを眼前に突きつけられる。いままで自分のしてきたことが卑小に感じられる。強く光を放つその才能を前に、自身の積み上げてきたものがとても恥ずかしいものに感じられた。ゆえに私は日記を書くことが恥ずかしくなってしまった。どうしたの?って、草壁サツキの文才がすごかったのだ。

 

草壁サツキというのは、スタジオジブリ制作の映画「となりのトトロ」にでてくる小学六年生の女の子である。彼女の母はわけあって入院している。その母へ宛てる手紙がとても読ませるものだった。サツキの文面に私の心は粉砕されたのである。

その手紙は劇中で2回目の便りであった。サツキがバス停でトトロなる幻獣に出会ったことを報告する内容であった。

 

お母さん、まだ胸がどきどきしているくらいです。

この一文ではじまる。すごい。読ませる。え?なにがあったん!?と思う。読者を引き込む重力がある。草壁サツキの文章はブラックホールだ。それはとてつもない重力を生むブラックホールだ。私はこの冒頭だけでサツキの文面に魅了されてしまった。次をどんどん読みたくなる冒頭だった。

 

とても不思議で不気味で楽しい1日でした。

韻を踏んでいる。そのうえ今日がどんな日かまだ明かさない。文章のリズムもよい。これが「楽しかったけど不思議で不気味な1日でした」だと小詰まりをおこす。しかもなんだか帰結が「不気味」であってよろしくない。サツキはきっちり「楽しい1日」とハッピーエンドを綴っている。それってすてき。

 

それにトトロのくれたお礼もステキだったの。

声。とつぜん声がした。です・ます調の敬体で進行していた文脈から突然、肉声が聞こえたのだ。口語体のもたらす弛緩は読者をほっと一息つかせる。こいつは本当に小学六年生なのか、と小首をかしげてしまう文脈である。

 

(略)

まるで猿カニ合戦のカニになったみたい。

(略)はすべて、です・ます調である。そんななか急に文体を語幹止めする。「~みたいです」でなく「~みたい」。暴力的ともいえる助動詞の放置である。丁寧文であった文脈に忽然と出現するその力技にわたしは思わず息をのんだ。手紙の文体の緩急がすごい。

 

もうすぐ夏休みです。早く元気になって下さい。お母さんさま。サツキ。

そして「お母さんさま」である。余裕の重複する敬称である。サツキが意図せず二重敬称した、とは到底思えない。これほどの文才を持つものである。どんな誤用であってもそれまでの過程で説得できるのであれば、言葉はどのように使っても構わないのではないだろうか。サツキの文章には読ませる説得力がある。サツキは文脈に活きる言葉の生命力を私に教えてくれた気がした。

 

そんなこんなで私は打ちひしがれた。悔しかった。ぬかづいて慟哭した。小学6年生に負けた。しかし才能とは先天的なものだな、と思った。つらかった。

 

2歳の息子が「となりのトトロ」に耽っている。ゆえに人が一生で観賞するぶんの「となりのトトロ」をこの土日に観た。外であそんでトトロをみる。トミカであそんでトトロをみる。飯を食ってトトロをみる。風呂にはいってトトロをみる。息をするようにトトロをみた。トトロ三昧であった。ゆえに日記に書くことがない。しかし、とてもたのしい土日でした。