まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

薬物的効果としてアルコールを摂取している

 

「お酒が好き」と胸をはって言える方がかっこいいなぁと思っている。それはきっと自制ができているからであるし、またお酒を嗜好品としてあじわうことができているからであると勝手に思っている。

私はさいきんまた飲み始めている。鬱憤がたまることが多いからだ。こうなると止まらなくなる。己自身でも「あ、まずいな」と思っているのだがなかなか辞められない。とくに家で飲んでいると失神するまで飲んでしまう。

とにかく早く酔っ払ってしまいたい。ゆえにビールやワインなどはあまり飲まない。蒸留酒などをうすめずそのままあおっている。いわゆる直飲み、ストレートというやつだ。

さいきんはもっぱらビーフィータージンを飲んでいる。47度のほう。度数もきついうえにビンのサイズも一回りでかくたくさん飲める。そしてうまい。

サントリー ビーフィーター ジン47度 750ml

サントリー ビーフィーター ジン47度 750ml

 

酒を飲んでいると楽になれる。アルコールが静脈動脈を徘徊錯綜し、こころに涵養してくると愚鈍になれる。

感覚が鈍ってくるとだいたいのものが良く見えたり聴こえたりする。テレビを観ていてもだいたいおもしろいと感じるし、音楽もだいたいよく聴こえる。酒飲んでいても「くそだな」と思うものはあるけれども、それらは本当にくそなので救いようがない。

妻と一緒に飲んでいると私はたくさんしゃべる。ふだんは寡黙なのだが、水を得た魚ならぬ「酒を得た俺」状態のときは無限に言いたいことが出てくる。しかも自分でも驚愕するほどにうまいこと論じることができる。先前もそうだった。

妻と音楽聴きながらアルコールに沈殿していると「ここのベースがよい」とか「ここのドラムのハットの音の残し方が抜群にセンスある」とか言っている。耳が良いとかそんなんではなく、音楽を作ったことがあるものならばそういった聴き方をしてしまうと思う。

左様なことを饒舌にしているうちに妻から「貴方はどんなふうに音楽が聴こえているの?私にはベースがうんぬんなどちんぷんかんぷんだわ。楽器単体で聴いているの?」と言われた。私は咄嗟にカレーライスの例を出した。

「カレーライスというのは、にんじん、たまねぎ、じゃがいも、獣肉、カレースパイスなどにより練成される。音楽も一緒でドラム、ベース、ギター、人声というもので練成される。カレーライスも音楽も各パートをあじわうのだが、それはもちろんカレーライス、つまり楽曲のなかのにんじんや獣肉を愛でているのであって、べつだん個別に聴いているわけではない。全体としてはしっかりカレーを味わっているのだが、そのなかで煌く具材を感じているのだ。」と適当な発言を放擲した。

わけがわからんが、妻は目を丸くして「すげー!納得した!」と鼻息を荒くしていた。妻も愚鈍になっている。これがアルコールの魔力である。

こうして感覚が鈍っていると無責任になれる。だから適当なことをべらべらとしゃべることができる。

でもそれで日ごろの鬱積をかんじなくなる。こうして憂さ晴らしをしているのだろう。これがなかったら日々の憂いに押しつぶされてしまうかもしれない。

ゆえに私はアルコールを薬物として摂取している。ぼろぼろになった心身を自分自身というやぶ医者に診てもらい処方箋をだしてもらう。

そしてその処方箋をもって市場に行き酒瓶をカランコロンとならして家路につくのである。

その薬はよく効く。ロキソニンと同じように効く。頭痛のように内部から軋む精神の鈍痛に「痛みにブロック!」なんてフレーズを掲げながらデジタル風の矢印のブロックで鈍痛の流れを堰き止めてくれている。痛みは手品のように消える。

そうして麻痺した感覚でしゃべる。しゃべる内容はその堰き止められたビーバーの巣に溜まった憂いのダムから浄水所に流し、さまざまな事象にろ過したものであり、ときに悪口もあったりする。

しかしそこからブログのネタになったりするものが出てきたりする。舌をまわしているうちに自身で気がつかなかった澱のようなものがぽろって出てくることがある。

以前はブログに嵌ったから酒を断てた、と書いたが今は逆に澱が出てくる感じを覚えてしまったので、さらにそこで酒を飲むことを肯定してしまっている。

飲めば飲むほどに耐性がついてしまっている。こうして人はアルコールに落ちていくのかもしれない。やばいな、と思っているがどうしようもない。すこし困っている。

今週のお題「家飲み」