まだロックが好き

まだロックが好き

夢破れたサラリーマンがおめおめと生きている日記

どうしてオカマはおもしろいのか

スポンサーリンク

 

マツコデラックスという人が好き。テレビに出ているとつい見てしまう。

歯に衣着せぬ物言い、というよりは事象の顕揚化がとても巧みだと思う。それは生理学として男性の脳漿を持ちながら、感性や感覚が女性的だからなんだと思っている。

M2 デラックスなマスク

M2 デラックスなマスク

 

世の中のものごとには男性が得意なことと、女性が得意なことに分けられると思う。それはいわば性における天命であって、回避不能な事実であるということはフェミニストでもご存知だとは思う。

 

こうしてブログ、日記を書いていると思う。文章とはセンスだ。ゆえにやはり女性のほうが文章を書くのはうまい。森羅万象の捉え方や表現化。それを書く女性のやわらかい文章というのは、とても読みやすく、すっと目に入ってくる。ひらがなが女性的だからだろうか。事象を捉えて文章にするライターというのは女性のほうが得意なのかもしれない。

 

しかし、おもしろいことを考えるのは男性のほうが得意だと思う。忌憚なく申してしまえばテレビに出ている女性芸人で笑ったことがあまりない。泣かせるとか怒らせるよりも「笑わせる」というのが一番難しい。というようなポイントで感情をゆさぶる創造性というのは男性のほうが得意なのかな、と思う。

 

だからそのハイブリッド、オカマやゲイやそういった方々というのは、ものごとの観点起点がおもしろいのではないだろか、と思っている。

 

その男性の創造性を持ちながら、女性的な文章を書けるオカマ、ゲイライターがいて、私はその人のファンなのだけれどもその御仁がノートを出していた。私がオカマオカマと言うのも御仁が自身でオカマオカマと言っているからである。不躾に聞こえていたらすみません。

就職が見つからない33歳のオカマの嘆き | kanae | note

 

おもしろかった。と言うと誤解をまねくがあえて言う、おもしろかった。

「おもしろい」にはいわゆる諧謔味みたいなのがはいってきてしまう。しかし、ここではそうではなく「読み物」として成立している、と申し上げたい。

これは日記である。しかし私小説だ。作品だ。そしてそこには偽らざる世界が広がっている。格好つけていない。むしろみじめだ。しかしだからこそ「生きる」という伸吟が生々しい体温でリアルに描かれている。時に得るちいさな幸せもそれを助長させている。

 

とくに2017年6月7日の日記は鬱積が爆発している。

神様、なぜあたしがこんな目に合わないといけないのでしょうか。普通の幸せをなぜ手に入れることができないのでしょう。

勝手に抜粋してしまったが、この二行にいたるまでの絶望が、葛藤が、慨嘆がそして哀願が、鬼気せまる勢いで筆述されている。私は読んでいてとても胸が苦しくなった。だからこそおもしろい。読んでしまう。

 

ブログを読んでいて文体やその表現のしかたでその人に宿っている魂のようなものを感じることがある。それは良い書き手の場合、なおさらである。

ブログをやっている人のなかでそれを感じる人は時折いる。しかし、そのほとんどが「怒り」のことが多い。「怒り」は文章にしやすく、読み手の魂も共振することがおおい。

 

しかし鼎氏の文章からにじみ出ているのは「渇求」だと思う。それはとても矮小なものなのに、みんなが苦労せずに手に入れているものなのに、どうして「あたし」にはそれが手に入らないのか。

 

誰しもに経験があるかもしれない。うまくいかない人生。一等賞になりたいわけではない。誰かに褒められたいわけでもない。ただただ「普通」に生きたいだけなのに、どうしてこうもうまくいかないのだろう。そんな救いの無い物語が鼎氏のノートからにじみ出ていた。

 

ノートを全文見るには100円が必要だ。とにかくカネがないらしい。氏のブログを読んでいればわかるが、かなり切迫している。苦肉の策の有料ノートだ。こんなことを言ってしまうとたいへん失礼なのだが、だからこそ惹かれる。

 

鼎氏は以下のブログもやっている。ヒップホップ記事が多いが日記もかねている。そしてR&Bにも明るい。音楽のライターもやっている。

それでいいっしょ

こうして勝手に言及してしまった。失礼な言い方も多かったかもです。不快に思うことがあれば消します。すみません。あんまからんだこともないのに。でもオカマは才能だ。生きろ東京サバイバー。

是非読んで欲しい。

note.mu