まだロックが好き

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夢破れたサラリーマンがおめおめと生きている日記

映画カーズを2歳児といっしょに観た感想

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過日。2歳の息子とカーズという音声付活動写真を観賞した。

とてもおもしろかった。

そんな感想を申し上げようと日記を書いている。

 

出会うべき「成長」の物語

話自体はありきたりなものであった。典型的なストーリーである。

だが、それは人が成長の過程で「出会うべき」物語であると私は思う。

 

高慢でうぬぼれ屋の主人公が、卑下していた「持っていないもの」に、ひょんなことから出会う。そしてその価値を学問し、それが大事なのだ!と気がつき、さらに学問したそれを持ってして、己が本然として目指していた栄達を手に入れるというストーリーである。漠とすればそんな感じであった。

 

既視感のある物語である。

 

しかしそんな感想は非常にナンセンスである。

なぜなら、これは2歳児や、ディズニー株式会社がターゲットとする「少年」にとって、須らく見るべき成長のストーリーであり、無駄に人生を生きながらえて、たくさん映画を消化した大人が、起承転結の妙を四の五の言うようなものではないからである。

 

このような弩直球なストーリーを、なんのためらいもなく、しかも気色良く制作できるのはピクサー映画の魔法であると思う。ありきたりでもぜんぜん飽きずに観賞できるのである。

 

映像美

あきずに観賞できる。その秘密は映像美にあると思っている。

私が初手に抱いた感想は「これ10年以上も前の映画なのかよ」である。

私がみたのは2017年。カーズが公開されたのは2006年らしい。

 

コンピューターで作られた虚構の世界である。

しかし、それがまじでリアルなのである。

車体に反射する抽象的な世界が流れる感じ。

つるつるでテカテカの光りの加減。

塵埃が舞い上がることで感じる空気と重力と風。

そして液晶画面の向こう側、虚構の世界に触れられるかのごとく、そのものが眼前にあるかのようなモノの質感。

それがとても見ていて、とっても気持ちよかった。

 

頃日のコンピューターグラフィックスは光が本当にすごい。

2歳の息子と31歳の妻はミニオンズという映画が大好きで、それもよく観賞していたのだが、それもミニオンズの質感がすごかった。

ミニオンズなんて生物はリアルにはいない。もしかしたらいるかもしれない。

塚森の大きなクスの木に住んでいるかもしれない。たぶん。

 

だけれど「ミニオンズを触ったらきっとこんな感触なんだろうな」という感覚が掌に湧くのである。

それは彼らが身につけているデニム素材やら持っているもの、虚構の世界に配置されている現実にもあるものの質感で説得力を増している。それは光の反射が演出しているのだと思う。

 

ちなみに三十路おっさんはメタルギアソリッドというコンピューターゲームが好きでプレイしていた。近年発売されたファントムペインはすごかった。さいきんのCGまじですごい。

とにかくCGがリアルですごい。光の反射がまじですごい。

 

主人公マックィーンの成長に起因した登場人物たち

なんども言うが、これは主人公レースカーのライトニング・マックィーンの成長の物語である。彼が成長するにあたって直接的に起因した人物、ってゆうか車物というべきか、が3人いる。

 

まずはもちろんレッカー車のトー・メーターである。

メーターは飄々としている。マックィーンが迷い込んだラジエータースプリングスという寂れた村落で快活明朗に生きている。くたびれた町でなにものにも拘泥されずに闊達にしている。

ディズニー カーズ トミカ C-04 メーター(スタンダードタイプ)

ディズニー カーズ トミカ C-04 メーター(スタンダードタイプ)

 

 

主人公マックィーンとしだいに交流を深めていく。

とくに夜間ふたりでトラクターを驚かしにいくところでは、いけない遊びを秘密に共有すること、また、危険な状況をふたりで逃れたことがつり橋効果を発揮し、親交を深めた。

マックィーンがエンジンを吹かしトラクターをぽこぽこ倒すところが2歳児のフェイバリットポイントであった。

 

メーターが教えてくれたことはその「自由奔放さ」だと思う。

勝つことだけが栄光であると捕らわれていたマックィーンに、この小さな町で名誉などに捕らわれずに生き、この町を愛し、自由に楽しく生きる姿にマックィーンは何かを感じたのではないだろうか。

 

それは具体的にメーターの得意技、バックギアでめっちゃ早く走行する、というものに象徴されている気がする。

吹き替えで見たのだが、声優がドンドコドンの人でとてもマッチしている。びびった。

 

 

ふたり目はサリーだと思う。

サリーは都会で弁護士をしていた。

だが、かつて繁栄していたラジエータースプリングスの山間部にある宿泊施設のようなところで見た絶景に感化され、都会から逃れてきたという経験をもつものである。

ディズニー カーズ トミカ C-5 カーズ サリー

ディズニー カーズ トミカ C-5 カーズ サリー

 

 

彼女は女型のカーズなのだが、マックィーンと恋仲になる。

ゆえに「恋愛」という必要枠を埋めてくれるのだが、個人的にサリーはその「脱サラ」的なことをマックィーンに教えたのではないだろうか、と思っている。

都会で得られた栄光の日々。それがすべてではない。

なにかもっと大事なものがあるはずだ、とサリーは口にせずとも醸し出していた気がする。

ただ、声優がアンパンマンの人だと思うのだが、じゃっかんおばさんっぽくて、すこし伸吟した。

 

 

マックィーンに影響を与えた三羽烏。さいごの刺客はもちろんドック・ハドソンである。

ディズニー カーズ トミカ C-6 カーズ ドック ハドソン

ディズニー カーズ トミカ C-6 カーズ ドック ハドソン

 

 

かれはかつてのレーサーだった。ゆえにレースへの執着心みたいなものが残滓としてあり、捕らわれたマックィーンをたびたび逃そうとしていたように感じる。

 

彼がマックィーンに教えたことは「挫折」である。

マックィーンのなかでこれがいちばんデカかったのではないだろうか。

かつて帝王と呼ばれたドックハドソンがこんなところで燻っている。しかしそれは個人の問題もあるが、レースという、いわば水商売の移り変わりの「はやさ」を感じさせたのではないだろうか。

忘却という陰影は、手に入れた栄光の輝きが大きいほど色濃く落ちてくるものである。マックィーンはなにを感じたのか。

それは彼が挑むピストンカップ最終レースで明らかになったのだ!

 

最終レースのカタルシス

最後のレース。

つまり物語のクライマックスであるが、そこで下げる溜飲が素晴らしかった。

陰惨たるライバルからの攻撃をラジエータースプリングスで手に入れたもので次々と打破していくのである。

メーターから教わったバック走法。友情の名もとでピットクルーをしてくれた天才的なグイドのタイヤ交換。ドックハドソンから教わったダートでの走行。

 

そして、さまざまな思いが交錯する中。

「勝利だけがすべてではない」というあの結末。

三十路の眼球から一筋の涙がこぼれた。 

 

まとめ

素晴らしい映画であった。その一言である。

2歳児はまだときおり飽きてしまうことがあるが、なにかと「カージュみる!」というのでやはり気に入っているのだと思う。

またこのカーズから得る教訓は多いと思う。

 

親があれこれ言うよりも、出会う作品などで自ら学問する子になってほしい。

だからもう少し大きくなったら、また共にこのカーズを観賞したい。

 

だってパパには友達がいないから友情を教えることは出来ない。

だからこのカーズを見て、マックィーンとメーターを見て友情を学問してほしい。

カーズ (吹替版)

カーズ (吹替版)