まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

ドキュメンタルっておもしろくない人間が残るのでは…?

 

 頃日。ドキュメンタルを見ている。シーズン3である。シーズン1と2はすでに視聴済みである。そして3を見ている。俺、まさかオードリーの春日であんなに笑うとは思わなかったわ…。

 

 昨日。その3の4話を見た。ネタバレを記載してしまえば、というかこの番組は誰が残ろうが「とにかく笑えればいい」というものだと思うのでネタバレうんぬんではないと思うが、ってカッコに入れればよかったのですが、そのまま書きます。読み難いですか?

 

 最後に残ったのはTKOの木下と山本だった。正直ぞっとした。ぜんぜん期待できない二人だったからだ。前回もそうだったが、ドキュメンタルはおもしろくない人間が残る傾向があると思われる。

 

 彼らの栄誉のために申し上げたいことがある。それは人間の感情で「笑い」がいちばん喚起させるのがむずかしいということである。

 

 人を「泣かせる」のも「怒らせる」のもだいたい皆おなじポイントだと思う。映画などで泣いたり、怒ったりするのはみな同じ場面であり、製作者もその意図がある。でも「笑い」というのは、ほんとに人それぞれだな、と思う。50人が大爆笑でも、方や50人は水を打った様な静けさ、ということがある。

 

 「笑い」というのが人間の感情でいちばん難しい。だから私はこれから暗に芸人を「コイツはおもしろくない」と申し上げるが、それは私の笑いのポイントに合っていないということであり、ぜんたい卑下するものではない、ということを承知して頂きたい。

 

 おもしろい人間というのは、「おもしろい」と思う森羅万象の範囲が広いと思う。だからおもしろい人間はおもしろいことを摂取しやすく、よく笑う。そしてゆえによく笑わせられるのだと思う。

 

 しかし一方で、おもしろくない人間というのは「おもしろい」と思う範囲が狭義であり、ゆえに人をおもしろく笑わせるのも狭義でしかできない。これもまた人間の笑いのポイントの難しさであって、それがめちゃくちゃうける人もいると思うが。

 

 そしてやはりこのシーズン3でもおもしろくない二人が残った。きっと回を重ねるうえで、「つまらない人間が残る」というのが判明したのであろう。ゆえにシーズン3ではゾンビルールというのが出来たのではないだろうか。

 

 ゾンビルールは敗退した芸人がもういちど現場に戻り「ネタ」を披露することができる。それはやはりゲーム終盤におもしろくなくなってしまう、ということが判然としたための救済措置のように私は思う。

 

 もちろん終盤は芸人が少なくなり、笑いの起点も減る。それはわかっているが、どうもこのゾンビルールにはそういった思惑が隠されているんじゃないのか、と訝ってしまう。

 

 こうしてドキュメンタルを重ねていくうちにドキュメンタルは「おもしろいやつを決める」というよりも「おもしろくないやつが最後まで残る」という結句を残す、芸人の汚点となるのではないだろうか、と思った。

追伸:シーズン2の小峠はおもしろかったです。

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