まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

子どもの性格形成は、遺伝と環境、どちらがより反映されるのだろうか

 

 我が家。暗黙の諒解が、陋屋の空気を支配している。それは「おもしろいやつがいちばん偉い」というものである。家庭内でえがおをクリエイトできるにんげんがもっとも尊敬されるべき、という戒律に基づいている。

 

 いま、もっともえらい人間、つまりおもしろい人間は、妻である。おもしろい人間、と形容するとなんだかファンシーでファンキーでポップな人間に思われるかもしれないが、そういったことではない。妻は頭がよい。唇から漏れるすべてのことばが諧謔味を帯びており、機知に富む発言を、その絶妙な間をもってして発動させる。また、いままで世界にそんざいしなかった心の機微をことばにする力をもっている。芥川賞に日常会話部門があれば、妻は受賞していると思う。

 

 そんな妻の頑強で揺ぎ無い牙城を、攻城するものがいる。わが息子(もうすぐ三歳、男性、無職)である。彼はどうしてか、ことあるごとに面白いことをしようとする。

 

 過日。息子と相撲をとった。七十九場所くらいとったのだが、すべて息子が勝ち越した。しかし八十場所で私が運よく勝ってしまった。すると負けん気の強い息子は涙悌。滂沱たる悔し涙をしぼったのである。その折に私が、息子の機嫌をとろうと、ユーモアをまじえて四股を踏み、塵手水からのすり足を舞った。息子は破顔一笑。いたくお気に召されたようだった。

 

 それ以降。息子は、落涙を忍ばないキッズをみると、だれかれ構わず眼前に赴き、四股を踏み、塵手水からのすり足を舞うようになった。ほとんどのキッズはぽかんとしている。そんなことは関係なく、息子は恬然と、そして「やりきった」というふうに傲然としている。

 

 息子はよくふざけている。十月で三歳になるのだが、もうそれくらいの年齢になると替え歌なども歌うようになる。アンパンマンの主題歌などを自分の名前に置き換えたり、口先をラッパにしてごにょごにょ歌ったりする。そして自分で笑っている。狂人のようだ。

 

 妻は心配になって、保育園で息子の様子を聞いてみたそうだ。やはり、他の子にくらべると飄逸的で、おちゃらけていることが多い、という。おともだちを笑わせたりすることが好きらしい。

 

 そんな息子をみていると。おもしろい。思えば、息子に笑わせられることは、妻とのそれに匹敵するようになってきたかもしれない。私の全身全霊のIKKO氏のモノマネでも笑わない妻でさえ、息子の所作でよく笑う。

 

 この息子の「世界をおもしろくしよう」とする心粋は、遺伝なのか。それとも、環境、つまり家庭内に猖獗を極める「おもしろいやつがもっとも偉大」という瘴気に毒されている、ということなのか。

 

 私はこれは遺伝だと思う。というのも、家庭内というのは、もっとも性格があらわになる場所である。その二重螺旋に組み込まれた天命が、言動となって、家庭内の環境をつくりあげてしまう。つまり、家庭環境というのは親の性格、つまりその遺伝子によって作られているので、この人間プログラムからはどうあがいたって解脱できないのだ! と力を込めていってみました。

 

 だから。どんなに奸佞邪智な人間が、その子を謹厳実直に教育しようとも、ふだんの言動から親の悪鬼羅刹ぶりは家庭内を横溢し、子の情操に影響をあたえてしまう。さすれば、子のなかに眠る天稟は誘い水を得て、おなじくした姦計をたばかる人間になってしまうのである。鳶は鷹を生まない。

 

 私は言いたい。息子に叩頭したい。「だからもう、おまえさんは頭のよい真面目な人間にはなれないのだよ」と。するとどうだろう。息子は言うんじゃないかな。

 

「烏滸の沙汰である。我が邸内において、まったく最下層の分際が、なにを言おうとこっちの知ったことではない。お前の胴体についている頭は、そんなむずかしいことを考えられるものじゃないんだから、四股を踏み、塵手水からのすり足でもしていなさい。世の中、おもしいことが大事だよ」なんて。

 

どんな薫陶を受けたらこんな子になるのだろうか。

性格論(性格の心理学): 性格を変える勇気

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