まだロックが好き

まだロックが好き

夢破れたサラリーマンがおめおめと生きている日記

歩きスマホをしてよい道。痴漢をしてもよい車両。ゴミをポイ捨てしてもよい世界。

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 拙宅のちかくに栗の木が屹立している。とある地主の持ち物で、天球の見晴らしがよくなるほどの広大な畑のそばにそびえている。

 

 その畑であるが完全な私有地である。しかしその畑に石英岩のタイルで舗装された一本の道が横断している。地主が「べんりであるから、みんなここを通行してくれ」といった心粋で備えた道である。私も通行させていただいており、毎日帰宅が三分ほど短縮される。

 

 私はこの心粋にひどく感銘をうけた。私的な畑であるが壟断することなく、地域のひとびととシェアする海容な御心に、時代を問わない一種の人間の懐の深さを感じた。しかし、この道ができていなかったらどうなってしまうだろう? という妄想に駆られた。

 

 おそらく、無断で通行する人間もでてくるだろう。それだけ人びとにとって便利な道なのだ。それにより畑の作物は踏み散らされ、国の石高に影響を及ぼす。それはおそらく「通行禁止」などの高札をだしても結果はおなじであろう。

 

 だからこうして道を作ることにより、通行人をウェルカム受け入れることで、畑も荒らされることなく、民草も「なんでここ通れねぇんだよ!」と憤慨することもなく、しかも私有地を使わせていただいているという負い目から、しずかに何の問題もなく通行できるのである。

 

 こういった問題を「受け入れてしまう」ことが、世上にとっても肝要ではないだろうか、と思った。

 

 ネットのニュースで見たことがあるのだが、海外でも歩きスマホが深刻な害となっているらしい。その歩きスマホに警鐘を鳴らすのではなく、道路に「歩きスマホ専用レーン」を設けた。という頓智の利いた話であった。

 

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引用:CNN.co.jp : これで安全?、歩きスマホ専用レーンが登場 中国・重慶

 

 これが成り立つのは因果応報という概念に基づいていると思う。つまり、歩きスマホをしている者同士が歩く道であるから、双方が衝突しても「おたがいさま」という諒解において、泰然と解決できるのである。

 

 だから私はいろんな問題ごとを、この受け入れと、因果応報の「おたがいさま」の理念のもとに解決すればよい、と思う。

 

 まずは電車の痴漢撲滅である。これは痴漢専用車両を作成すればよい。さすればこの車両に乗る人間は痴漢が目的であり、痴漢をするひとはなんの遠慮のなく痴漢し放題なのである。そうすれば一般車両に痴漢が乗ることはなくなる。だって一般車両でそんなことしたら極刑ものの重罪である。

 

 もちろん、痴漢をするひとは痴漢をされる覚悟を持たねばならない。それが因果応報である。ゆえにそういった衆道の気をもったひとびとが多く乗り込むかもしれない。でもしかたない。痴漢をする人は痴漢される運命を負わなければならない。

 

 こういった受け入れの姿勢でだいたい解決できる。

 

 政治家の不正な横領も、「いくらまでなら横領してよい」と金額を決めておけば、いちいちニュースで騒ぎ立てなくても好い。もちろん、その「横領してよい金額」を踏まえて政治家のお足は決定すべきでもある。

 

 芸能人の不倫も「三人までなら婚姻関係をもっても好い」という多夫多妻制を導入すれば「まだ二人目だからオッケー」となる。多夫多妻制を首肯するひとびとは、そういった人びと同士で結婚すればなんら問題ない。そうなってくると夫婦の問題であって、市井の人が騒ぐものでもない。ちなみに私は妻しか愛せない。

 

 そんなことを考えて往来を逍遥していたら、目の前でゴミをポイ捨てする御仁がいた。なるほど。ゴミをポイ捨てしてもよい世界を作れば、こんな私の慷慨癖も意味をなさないだろう。でも、そこも因果応報。ゴミをポイ捨てする人間は、じぶんがポイ捨てされる覚悟を持たねばならない。そんな世界は巨大なゴミ箱だ。そのなかで生きるのは自分がゴミだと認めてしまうことになるので、すこしつらいな、とおもった。

 

 そうして私は往来に落ちたゴミを処理しようと思った。が、身の丈一八〇メートル、目方七〇キログラムほどありそうなその粗大ゴミを、どこに捨てたらよいのだろう? と困惑したのであった。