まだロックが好き

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夢破れたサラリーマンがおめおめと生きている日記

どうして食事はお菓子ですませてはいけないのか

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 もうすぐ三歳になる息子は「えーなんでぇ?」を口癖にしている。だが、ほんとうに疑問に思ったからではなく、とりあえず相手への反応として「えーなんでぇ?」という。「ようたくん、きょお、おうどん、たべる!」と言うので、「じゃあ、おうどんつくろうね!」と返答すると、「えーなんでぇ?」という具合である。なんでだろうね。

 

 過日。息子とふたりで食事をしていた。コンビニで買ってきたものだった。セブンのメロンパンめっちゃ美味い。ついでに「超ひもQ」というお菓子を買ったのだが、息子が食事の途次にもかかわらず、それを食いたい! と懇願してきた。飯も食わず生意気なやつだ! と思った。だから「ごはん食べたらね」と言った。

 

 彼は言下に「えーなんでぇ?」と反駁してきた。あにはからんや私は「え、なんでだろう」と自問自答をはじめてしまった。

 

 蓋し。お菓子を食べるとご飯が食べられなくなってしまう。それは胃腑のキャパシティというものが人間にはあるし、脳髄にも満腹中枢というリミッターが備わっているので、ご飯から得られる栄養素や繊維質、その他もろもろのビタミン系を内服できなくなってしまう。

 

 しかし。もし仮に。「野菜三五〇グラム分の栄養が凝縮されたグミ」が科学の力で生成されたら、それを食事の代わりにしてはいけないのだろうか。銘菓を発明しまくっている株式会社カルビーの社名は、カルシウムのカル、と、ビタミンのビーだという。途轍もない栄養素だ。でも私は思う。それはいけないことなんだよ。

 

 食事というものには人間の滋養の要素がある。からだをつくり、からだをととのえ、エネルギーになる。しかし、それというのは所謂「建前」だと私はおもう。食事をしなければ、からだは軟弱になり、不調をきたし、大事な瞬間にエネルギー切れになってしまう。そういった恐喝である。

 

 ではなぜ食事をするのか。きちんとしたお膳を用意しなければならないのか。それは、食事とはコミュニケーションだから、である。

 

 名画「サマーウォーズ」で、栄おばあちゃんは、絶縁状態であった庶子、侘助のとつぜんの来訪に「あんたごはん食べたのかい」と言った。それは彼の身代の栄養素をしんぱいしたのではない。ともにご飯が食べたかった。それだけなのであった。たとえ気後れするような静寂が立ち上がったとしても、ともに大皿を前にして箸でお菜をつつくのは、それだけでコミュニケーションなのである。

 

 ときに人は、孤独とともに飯を有する。孤独のグルメなどという独り飯を首肯する番組もあるが、しょうじきに言えば、あんなものさびしい食い物である。いかなる炊金餞玉を前にしたって、その美味さを共有できる人がいなければ、つまらない食い物になってしまう。

 

 だから人は碗に飯をもり、椀に汁をそそぐ。皿にお菜を置き、卓に並べる。それをみんなでおいしいね、と言って食べる。食事の仕合せとは、うまいものを食うだけではなく、それを共有することにある。それを幼少期に学問できなかった子は、人間としてのコミュニケーション能力に不具合が生じ、人と視線をぶつけて会話することがまるで出来ない俺のような存在になっていしまう。それはまじやばい。

 

 だから人はきちんとした食事をしなければならない。じゃあ、一緒に食べるだけでいいならお菓子をともに食べればいいじゃん! と、いけすかない文言をぶちまけてくる人もおるかもしれない。アホめ。立派な大人が食事にお菓子など食えるか。飯をお菓子なんかですませてしまったら、食事における大事なポイントである、からだをつくり、からだを整え、エネルギーになる、ことが達成できず、いざ! というときにからだは軟弱になり、不調をきたし、大事な瞬間にエネルギー切れになってしまう。「野菜三五〇グラム分の栄養が凝縮されたグミ」なんかが開発されたって、俺の食事がしたい気持ちがおさまるわけないだろう。

 

 そんなことを思ったので、息子に説明をした。言下に「えーなんでぇ?」といわれたので反応に困惑した俺は、「超ひもQ」のパッケージを破り、一緒にたべた。超ひもQは史上最長の一二六センチメートルある。息子が端を渡してくれたので、つるつると唇をすすめていくと、息子の唇にふれた。唇のコミュニケーション。あいしてるぜ。

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