まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

ハイスタンダードという手渡しの音楽。Hi-STANDARD「The Gift」を聴いた

 

 漸くハイスタの新譜「The Gift」を聴いた。そのために久しぶりにタワレコに行った。ちなみに私はさいきん、音楽はほとんどアップルミュージックのようなストリーミングサービスで聴いている。遁辞ではあるが、労働と子育てでレコード屋に足を運ぶいとまなどない。

 

 そうして。あらためてハイスタンダードというのは「手渡しの音楽」なのだな、と感じた。それはもちろんインディーズ活動におけるリスナーとの距離がちかい、というのもあるだろう。しかし、ゲリラ発売の「ANOTHER STARTING LINE」のときもそうだったが、店舗で買うことのその昂揚感は、いわば「音楽を聴くことの一連の流れ」といっていいのではないのかな、と思った。

 

 その「手渡しの音楽」は「The Gift」と命名されたこのアルバムの名が表しているのではないだろうか。おくりもの、というのは人の手から手へ渡されるものである。そこにはモノだけのやりとりではない。近況やら雑談やらも含まれる。さいきんのおまえはどうだい? レコード屋の店内を逍遥したときに、そんなことを言われているような気がした。対して私は、いまの音楽はこんなことになっているんだ、なんて知らないバンドの名前に目を注ぎ、頃日の音楽シーンをしった。

 

 なぜこの十八年のアルバムをおくりものと冠したのか。私は、これはたんにハイスタからのおくりもの、という意味ではなく、ハイスタがもらったおくりものへの恩返し、なのではないかなと思った。それは十一年ぶりに開催したAIR JAMというイベントで待っていてくれたハイスタのリスナーへの恩返し、などと勝手な推測をしてしまった。なぜなら、かれらはそういう身近な体温をかんじるバンドだからだ。

 

 音楽のライブやフェスの動員率があがっているらしい。しかし、労働して家事をして育児をしていると、ライブへいくことへのエネルギーの消費率というのは途轍もない苦労をともなう。ハイスタのメンバーも子どもがいる。だからこそ、そのライブに行くことの艱難辛苦、障壁みたいなものの巨きさを知っている。それなのにAIR JAMというイベントはチケット完売をなしとげている。それはハイスタを待っていた人びとがいたからである。その人びとのほとんどは仕事に都合をつけ、家事や育児をなんとかやりくりしてやってきた人びとである。

 

 そんなハイスタフォロワーに、ハイスタは新譜という恩返しをしたのではないかな、なんて思う。腹蔵なくいえば、「Making The Road」を越えるようなアルバムではないだろう。それは本人たちもわかっていると思う。名盤とは時代がつくる。時代は人がつくる。そんな思春期にハイスタを聴いてきた人びとにとって、過去のアルバムは思い出アシストがかかるだろうし、ハイスタの潮流をふくむバンドもたくさん音楽をつくっている。

 

 余談だが、すべての日本のバンドにハイスタンダードという翳はおちていている。といっても過言ではないと思う。もちろんハイスタはメロコアと呼ばれるジャンルの嚆矢である。いま巷間を熱くしているメロコアバンドにはハイスタの影響がある。しかし、ハイスタはもうメロコアという容れものでは測りきれない存在になっている。インディーズシーンを引っ張り上げたハイスタの影響は、そりゃあもう巨星のごとくしてすべてのバンドの沖天に浮かんでいるだろう。

 

 そんな「The Gift」は、中学高校とハイスタンダードを聴いていた私にとって、最高のアルバムだった。あのときと音楽の聴き方はちがうし、聴く音楽の幅もひろがった。でも。それでも。ハイスタはやっぱり最高だな、とおもった。私にとっては最高のギフトだった。はじめて俺が楽器で覚えた曲は「Brand New Sunset」。いまでも弾けるぜ。

 

 横山健という人のギターがだいすきだ。なんかのインタビューかなんかで言っていたが、スコアとかに拘泥せずにとにかく自分らしく弾け! と言っていた。それは私の生き方のようなものにも影響している。そんな横山健氏のギターが冴えまくる「All Generations」という一曲目はオブリガードがロックンロールで、健さんのギターのニュアンスが変わったな! とおもった。それはナビゲーターのレスポールではなく最近はグレッチを使っていることにも起因するだろう。すごくヨコがでている。それは音域もノリも。

 

 かれのギターはまっすぐだった。そう思う。もちろん演奏はけっこう多彩なのだが、それは重くて切れのよい歪みと相まって、すごくまっすぐに聴こえる。愚直なパンクロックだった。しかし、グレッチというギターの特性なのか、はたまた彼自身のパンクロックの祖であるロックンロールへの傾倒なのか、タテノリがつよかった彼のギターにヨコがふえたような気がする。

 

 しかし二曲目の「The Gift」などでおもうのは、横山健氏のギターのブリッジミュートは相変わらず気持ちが好いし、これはハイスタンダードのリズムの要だなぁということである。そうして恒岡章のドラムはどうしてこんなにタイトでキレキレなのだろうか。

 

 もちろん三人そろってハイスタなのだが、私はこのツネというドラムは、いつ聴いてもすげーな! と思う。ハイスタがたんなるメロコア、で終わらなかったのはこの人のドラムがあったからだと思う。スネアの音作りもそうなのだろうけど、けっこう重めの音をしているし、なによりタイム感がしっかりしてるのに曲の表情のためにそれをうまーくコントロールできる。

 

 ドラムとはほんらい、ぜんたいてきなビートで曲を抱擁するものなのかもしれないが、彼のドラムはそんなことよりも、ギター、ベース、ボーカル、と横一線にならんで鳴っているような感覚がある。

 

 個人的に。このアルバム横山健節が濃いなぁ、とおもったのは三曲目の「Can I Be Kind To You」のような曲がくみこまれていたからだ。カラっとしたリフとサビ。五曲目の「Time To Crow」のような曲もそうだった。横山健のギターはパンクロックの枠をこえたと思う。それは嫌味に感じない曲の味付けにしようされるピッキングハーモニクスをはらんだフレーズのゆえんではないかな、なんて思う。また八曲目の「Big Ol'Clock」のような愛おしいメロディからの壮大なサビは、かれのソロなどでもよく見せる横山健節だと思う。

 

 好きな曲は数あれど七曲目の「Hello My Junior」なんていうのは、ハイスタの「GROWING UP」にはいっていそうなレゴブロックでミュージックビデオをつくりそうな感じで好きだった。「Punk Rock Is The Answer」みたいな哀愁メロ全開にクラプトンみたいな短いギターソロは、かつてのカバー曲「California Dreamin'」を彷彿とさせる。ちなみに哀愁でいえば十二曲目の「I Know You Love Me」はハワイアン6みたいな曲だった。

 

 みんな成長していく。そんなことを歌っているのだろうか。「We're All Grown Up」という曲もある。ハイスタはやはりその曲調も愚直だった。このアルバムもそんなところがある。ハイスタのハイスタらしさ。しかし成長した側面をみせることもある。「Free」の転調しそうでそうしない曖昧な表現をすることが、かれらの成長なのかもしれない。

 

 ぐだぐだと三千文字以上もかいてしまったが、ギフトはとても好いアルバムだった。さいこうのおくりものだった。おくりもの、というのは知人に渡すものである。だから、これがハイスタを知らない若者に受けるとか、受けないとかは関係ないのではないかな、と思った。彼らは彼らを知っている人びと、それはすでにその影響からすべてのパンクロックを好きな人、と言い換えられる人びとにとって、彼らからのさいこうのおくりものであり、彼らのさいこうの恩返しだったのではないかな、と思った。

THE GIFT

THE GIFT