まだロックが好き

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夢破れたサラリーマンがおめおめと生きている日記

同じ阿呆なら驕らにゃ損損

 

 先日。妻が会社の愚痴をこぼしていた。「なんでアイツらあたしの思い通りにうごかねぇんだよ」というものである。話を聞くと、みんな自分のことしか考えていなくてどうしようもねぇ、という内容のものだった。

 

 かようなことを記載すれば、私の妻はとんでもない人格破綻者のようなおもわれるかもしれない。たしかに上記の内容は食言している。だって妻も自分本位の考えである。しかしその現場で妻は忍んだ。ゆえに鬱憤を蓄積させたのである。

 

 節度というものは大事だとおもう。驕る平家は久しからず。古人はそう言う。しかし、私はおもう。こうして妻のように忍耐をもちいるよりは、傲岸不遜な態度を徹頭徹尾つらぬいたほうが、じつはおのれのためなのではないだろうか、と。

 

 ストレスという心理的瑕疵は、いかなる病魔よりも悪質である。それは明白な事実として現代に胡坐をかいている。ストレスを溜め込むと死ぬ。ゆえに現代人はいかにしてストレスを溜めまい、とするかに全神経をすりへらし躍起になっている。ストレスというものはあだやおろそかにできないのである。

 

 上記、妻の場合。妻の職場の人間はその利己的なふるまいによって、自分自身を解放し、ストレスを溜め込まなかった。そのかわりに妻がストレスを溜め込んだ。これは現代のストレス合戦において、妻の敗北を意味している。

 

 ちなみにそのストレスの原因というのは湯沸かしポットのお湯を直前に使用されたため、湯の残量が底をつき、妻がテンポよくコーヒーをたてることができなかった、というものである。

 

 こうして妻は寿命をちぢめてしまった。私の愛する糟糠の妻になんてことをするんですか。やはりこういった場合、人に譲ったりせずに、どんどん自分本位に行動してストレスを溜め込むべきではない。それが現代を生き抜くポイントだ! とおもう。

 

 だから、私は眦を決した。これからは自分本位で生きていこう! とおもった。まず手始めにどんな利己的な行動をしよっかなーとおもっていたところ、朝、コンビニのレジに長蛇の列が起こっていた。これだ! とおもった。

 

 つまり、この長蛇の列を不遜に無視し、レジに直行するのである。これはめちゃくちゃ悪いことだ。でも、レジにならべばおそらく五分以上は待たされる。私はじぶんのなかの野生の本能をふるいたたせ、まずはイメージトレーニングをした。

 

 おそらく、列の先頭にわりこめば、「ちょっと、ならんでるんですけど」と言われる。でもそれってあなたの都合でしょ? あなたの都合を私におしつけるなんて驕慢だ! 私は私の都合で勘定をすませたいんだ! と言い返すことができる。ぶっちゃけ、はやく勘定をすませたほうがこのストレス合戦のウィナーになる。

 

 そうおもった。おもったんだ。そう、おもうだけでおわったんだ。俺にはやっぱりそんなことできなかった。むしろ、そんな驕った自分を思案するだけで、なにかもやもやしたわだかまりが胸裏に澎湃とした。とてもストレスを感じた。

 

 おそらく私にはそういった驕った行動は意図的にできないだろう。もしかしたら無意識にそうしてしまっていることもあるかもしれない。でも、そういったときにも「あー、もしかして今の俺の行動はずいぶん驕ったものだったかなぁ」なんて考えてしまうと余計にストレスで、ほんと生きにくい。

 

 今だって、こんなこと日記に書いたら「なんやこいつ阿呆やなー」とかおもわれるかもしれないなぁ。とおもって生きている。もうちょっと驕った人生をおくりたい。居丈夫に生きて生きたい。そのほうがこのストレス社会をながく生き延びられるから、と思って、そんな思惟もずいぶんと利己的なもので、ほんと自分にストレスです。