まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

うんこは急ぐべきか、耐えるべきか

 

 今朝。青白い顔をして走る人を見た。轍鮒の急。たぶんうんこだろう。

 

 おなかがいたくなった時、講じる手段はおおきくわけて二パターンだ。耐えるか、急ぐか。彼は急ぐという選択をした。侍だとおもう。

 

 腹が痛いのに走る。これはいちかばちかのギャンブルだ。駆けた先のトイレが空いている、とは限らない。しかも走行の振動によって腸内環境は活性化する可能性だってある。さらにいえば、肛門括約筋を引き締めて走るのだ。これによって走行フォームは限定され、足への負担にもなりかねない。

 

 そうして変な走行フォームになれば世間の目からは「あの人の走り方、へんじゃない」と、奇ッ怪な眼差しを注がれ、嘲弄され、笑いものにされる。「おい、スキップしてみろよ」などと野次が飛ぶ。みんな変わった運動能力をもった人間が好きでスポーツや運動神経悪い芸人などを好んで観賞する。

 

 しかし、多少いびつな走り方であっても糞を漏らすよりはましだ、と思案投げ首したのだろう。彼は走った。文明人として走った。社会の眷属として。おのれの一国民としてのプライドをかけて。それを守るために走った。もう駄目だとおもうことはいままで何度でもあった。

 

 ちなみに「耐える」という選択肢をとったばあい、彼はどうなっただろうか。むろん「耐える」という選択肢はちかくにトイレがある、という有卦が絶対条件である。しかし朝の公共トイレは奪い合いだ。個室のまえに列をなし、みんなうんこを我慢する。うんこが列をつくっている。脂汗をかき、もぞもぞと蠢く。蠕動する腸にびんかんになる。ときおり神に祈る。

 

 私自身、耐えるという選択肢を選ぶことが多い。多少の列をなしていても、この先いつトイレと邂逅できるのかわからない、という不安をいだいて彷徨い歩くよりもよい、とおもっている。おれのいくぢなし。

 

 彼を見ろよ。あんな青白い顔して人ごみを手包丁をきって掻き分けたじゃないか。無駄ないさかいを起こさないために平身低頭し、喉からしぼりだす声で「すいやせん、すいやせん」と言っていたじゃないか。翻っておのれ自身を鑑みる。はっ。なんて表六玉だよ。唐変木だよ。粋じゃないよ。保守的な思想に耽って冒険をしない。男の人生それでよいのかよ。駄目駄目。駄目人間だ。くさった哺乳類だ。屑だ。消えてしまいたいよ。男はああじゃなくっちゃならない。チャレンジだよ。このままどこまでいけるのか。おれはどこまでいけるのか。試しの大地。便所開闢。あぁ、俯仰天地に愧じないとは彼のことだよ。

 

 彼が無事に脱糞できたのか。俺はしらない。ただただ彼の安否をおもうばかりだ。でも彼がたとえうんこを漏らしていたとしても、そのマインドは尊敬したい。