まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

スピッツ三輪テツヤの芸術的メロディックアルペジオが好き

 

 スピッツという楽隊がおります。結成爾来三十年。かわらぬ陣容で聴衆の期待にこたえつづけている楽隊でございます。そんなスピッツでございますが、各演奏者のこせいが水際立っておりまして、とてもすばらしいナァ、なんて私などはおもうのです。

 

 そのなかでも、ギターという船来の撥弦楽器をしようする、三輪テツヤ氏に焦点をしぼってみたいという腹積もりであります。三輪テツヤ氏はアルペジオという奏法になかんづく個性が迸っておるような気がしてならないのです。

ロビンソン

 まるで宇宙からふってきたようなアルペジオでございます。宇宙、というとなんだか色気が足り無すぎる。いうなれば、銀河。そう、銀河です。マックブックの壁紙みたいな銀河でございます。渦巻く銀河から天啓のごとく舞い降りてきたこのアルペジオは、イントロからまさにその七宝の色彩を散りばめておりますが、サビの後ろでもすこし形を変容させ、声楽を担当する草野マサムネ氏のメロディーを縫うかのように彩り、おのれ自身も恒星のごとく発光しているのです。仕上がった楽曲に装飾された虹色の、しかしどこかしらさびしげな翳りのあるような色彩は、ニッポンの偉大なアルペジオ、否、世界の偉大なアルペジオだとおもう次第であります。

愛の言葉

 朦気するような、立ち込めるアルペジオだとおもうのです。サビの中でも鳴っております。マサムネ氏の一文字一音をあてるメロディーに寄り添いながら螺鈿のように光るのです。しかしそれは地を這いような、重たい空気のような、塵埃のようなアルペジオだなぁ、と思います。もしかしたらマサムネ氏が考えたかもしれませんが。

 

 ロビンソンと愛の言葉がはいっている名盤でございますね。ハチミツは。

ハチミツ

ハチミツ

 
ホタル

 ギターという楽器は開放弦に「おいしさ」のようなものがあるとおもうのでございます。ホタルという楽曲はその開放弦を利用した、まぁだれにでも簡単にできるアルペジオなのですが、あぁ! なんという煌きなのでしょうか。まるで夜気を切り拓く一閃の光明のごとし。ハラハラと舞い落ちる光の結晶という印象もあります。私方においては、そういうふうなものも感じますが、なにより志操堅固な一筋の光明が、残像をおいていくような感を覚えるのです。音の継続感が心地よいのであります。

HOLIDAY

 もちろんイントロのカッティングのギターが印象的でございます。でもAメロの陽気に踊りはじけるアルペジオは、ギタリストならばだれしもが弾きたくなるはずなのであります。単調です。でもこの一音一音にこもったご機嫌な印象、休日のよく晴れた午前の、あの、なにかよいことが発生しそうだぞ、という期待感を込めた、それでいて穏やかな風が頬を掠めることだけが、それだけが仕合せだと思えるような、そんなふうなギター、というのは、なかなかの境涯に達せねば弾けぬとおもうのであります。

 

 スピッツのアルバムでは異質、といっていいハヤブサだと思います。死ぬほど聴いた。

ハヤブサ

ハヤブサ

 
スカーレット

 壮大なアルペジオもうつくしいのですが、スカーレットの生活感のあるアルペジオも好きなのです。陽だまりのなかで毛羽立つ繊維たちが光のコーティングを帯びたような、日常のあたたかみがある気がするのです。太陽のにおいがするのです。右からも左からもアルペジオの「歩いている感」があって好きなのです。フェイクファーというアルバムはスピッツ本人たちはあまり好んでいないようですが、私は好きです。同アルバムには「冷たい頬」というこれもまたお手軽にできるアルペジオ曲もありますが、スカーレットの言及のみでよしておきます。

 

 フェイクファーもよく聴きます。ジャケの眩耀がこのアルバムを語っている気が致します。最後のフェイクファーという曲のイントロはおそらくマサムネ氏でしょう。二回目のアルペジオ、ちょっとピキってますよね。※ピキる=押弦があまく、弦が鳴りきらずピキッとした音になってしまうこと。ちなみに俺の造語。

フェイクファー

フェイクファー

 
あわ

 あわのような表現ができる音響装置はございます。しかし、さういふメカのあわ表現でなくアナログな、人力のあわ表現。それがこのあわという曲のアルペジオなのでございます。あわの種類は何種類かございますが、かくなるアルペジオのあわは水泡でございます。石油製品の鈍色のあわではございません。ぽこぽこと水中の一点に穴をあけたらば発生し、上昇するたびに膨張するような水泡でございます。

 

  名前をつけてやる、そんなアルバム名かっこよすぎやしやせんか。え。どうなんですか。初期のスピッツでなにが一番好きか、といえば「魔女旅に出る」。これでございます。

名前をつけてやる

名前をつけてやる

 
ビー玉

 ハンマリングとプリングを織り交ぜたアルペジオがクリーントーンで演じられており、かちかちとはじけるビー玉のふんいきをかもし出しているのかもしれませんね。なんて思います。初期のスピッツではメロディックというよりはこういった印象操作的にアルペジオをしていたのですね。

 

 ビー玉が収録されているファーストアルバムはその名も「スピッツ」でございます。安直ですね。海とピンクってなんなんだ! トンビ飛べなかった、夏の魔物、うめぼし、ヒバリのこころ、のラスト四曲の流れが最高にパンクでございます。

スピッツ

スピッツ

 
アパート

 この曲に三輪テツヤという人の、アルペジエイターの基本があるように思うのです。三、四弦あたりでトニック、サブドミナント感をとり、音抜けの好い一、二弦のプレーン弦できらめきを演出する、ときおりサスフォーのような音を入り混ぜコードを悉皆弾く、というような。この曲がサスフォーを使っているのかは不確かですが。でもそんなふうにかんじるのです。このようなアルペジオをしている曲が多い気がします。

 

 惑星のかけら。白い炎がかっこよすぎて一時期きちがいのごとく聴いていました。

惑星のかけら

惑星のかけら

 
群青

 これなのです。アルペジオの役割を果たしながらも、なんと! メロディを成し遂げてしまっているのです。すばらしいではありませんか。流麗というよりは軽やか。こちらももちろんクリーントーンで演奏されており、アルペジオはきらきらしておりますが、コードをジャランと強く弾くとすこしひずむ、そんなギターのピックアップがコンプリオと鳴く設定なのですね。

 

 群青のはいったアルバムはさざなみCDというものなのですが、いままでのアルバムには一本の芯のようなスピッツ感とともに、楽曲の装丁においてもアルバムごとのスピッツ感がありました。しかしさざなみCDからは多彩になったように感じましたのです。すごいのです。ここにきてまだ進化するのか! と思いました。ルキンフォーという曲が、ほんと大好き。

さざなみCD

さざなみCD

 
春の歌

 春というのはなにかがおこりそうな予感がいたします。そんな期待感のあるイントロのリフレイン的なギターもよろしゅうございますが、ぜひ、ぜひともサビの歌の裏側にあるそのポリフォニー的に流れるメロディックアルペジオを、もし感じたことがないお方がいらっしゃるのならば、このアルペジオを、なにとぞ堪能していただきたいのであります。マサムネ氏の清冽で力強い歌唱がのびやかなさいちゅう、このアルペジオがもうほんとっ! 最高なのございますよ奥さん!  ってなかんじで文体がおかしい!

 

 前作の三日月ロックから亀田誠治がかかわるようになり、その第二作目。圧倒的なポップ路線になった、という手触りがございました。スーベニアはいちばん好きなアルバム、というわけではないのですが最も聴いたアルバムにはノミネートされるかんじなのです。「ワタリ」、「みそか」がかっこよすぎるのでございます。とにかく三日月ロックから曲のバランスがポップに纏まった気がいたします。 聴きやすい。それまでのスピッツってけっこう気合を入れて聴いていたのですが、好い意味で肩のちからを抜いて聴けるようになってきたころかナァなどと思案いたします。

スーベニア

スーベニア

 
田舎の生活

 五拍子から四拍子へ戻る曲であります。「なめらかに澄んだ沢の水を」という歌詞のフレーズが、すべて物語っているアコースチックギターのアルペジオでございます。清澄でまじりけのないうつくしさがあります。アルペジオとは関係のないのですが「澄んだ」という透明度の高い言葉に、「なめらか」というやわらかな形容を与えてしまうのがまじですごいとおもう。発明だとおもう。清流の水底に抽象的な風景がうかんでいるのが想像できるもんね。五拍子の四のとことで木琴がはいってくるのでわっかりにくいですね。

 

  地味なEPを入れてしまいました。しかし、たった五曲しかないのですが、このEPは他のアルバムを聴くよりも疲労困憊いたします。なぜでございましょうか。私はこれ、スピッツ色が強すぎる気がしてならないのです。すごい円盤でございます。

オーロラになれなかった人のために

オーロラになれなかった人のために

 
まとめです

 スピッツはほとんどの曲でアルペジオがしようされております。上記には、青い車がない、とか、チェリーがない、桃がない、とかあるでしょう。

 

 以上は私が好きだな、とおもう一部であって、正直に申し上げれば、スピッツはぜんぶ好きなのです。スピッツはほんといつまでもスピッツでございますね。これからもずっと聴きつづけます。愛しております。