まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

ひとは出会いによって人生が変わる

 

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 ひとは出会いによって人生がおおきくかわることがある。そう思うのは、おれがロックという音楽を好きになって、いまだに好きで、もう三十一歳だってのにそんなものに幻惑されて、こうして日記なんて書いているからだ。

 

 そういった人生の「大いなる変容」をいざなったモノとの邂逅は、いまだに覚えている。

 

   中学生のときだった。母子家庭だったので、母はさびしかったのだろう。とある男性と交際していた。私はそれが厭でたまらなく、彼らの談笑する声も聞きたくなかった。しかし、すきま風ふきすさぶような陋劣な寓居だったので、ふすまひとつ隔てても彼らの楽しげな声は漏れてくる。

 

 それが厭でおれはずっとラジオを聴いていた。たしかラジアンリミテッドだと思う。そこでハイスタンダードというバンドの「ステイゴールド」という曲が流れた。

 

 革命だった。後頭部をぶん殴られたような、という月並みな表現が吻合する衝撃で、鼻にきなくさい感覚があった。頭がしばらくぼーっとした。日本人なのに英語で歌っていて「ゴダイゴかよ」と思ったし、なによりギターという楽器を、バンドという存在を最初に意識した音楽だった。

 

 ちいさなラジカセだった。あのころはイヤホンに種類があるなんてことも知らずに音楽を聴いていた。ぱさぱさのイヤーマフなんかが付いていて、きっと低音なんて全然でてなかったとおもう。それでも、あのとき初めて聴いた「ステイゴールド」ほどの輝きをもった曲にいまだに出会うことはない。

 

 それからおれの人生は擾乱し、一瀉千里として転落して行った。でも、あの経験がなかったらおれはどうなっていたのだろうか。もしかしたら、ちゃんと勉強なんかして充実した人生を送っていたかもしれない。けど極端に云えば、切腹していたかもしれない。音楽には救われたようでいて、その実ほんとうは陥穽にはめられたのだろうか。その答えは人生の終幕にしかわからないと思う。

 

 そんな邂逅が何度もあってひとは変わりつづけるのだろう。ロックと同じようなインパクトを与えたものが、むろん他にもある。たらこスパゲッティーだ。

 

 今朝方、たらこスパゲッティーを食べた。朝は時間がないので、水出しパスタなんていうテクニックを使役している。夜のうちにパスタを水に浸しておく。もちもちになってクソうまい。もちろんパスタソースは和えるだけのヤツだ。

 

 ふと息子が「父の食しているものがうまそうだ。ここはひとつ頂戴したい」と云うので、そこはかとなく呉れてやった。ちなみにそのとき息子はカルボナーラを食っていた。

 

 三歳児はたらこスパゲッティーを突き匙できように巻き、ひとくちにほうり込んだ。咀嚼後、邂逅を果たした息子に、矢庭に静寂がたちあがった。目を見開き、瞳孔を揺らしながらその寂寞の空気をやぶった。「うまい」と云うひとことだった。

 

 その様相をみて、おれは、おれがたらこスパゲッティーと初めて出会ったときのことを思い出した。

 

 あれはおれが小学生の時分で、たしか水曜日だった。なぜ水曜日か、というと水曜日だけが母の休みの日で、ともに夕食を食べることができたからだ。ふだんは祖父母の家で和食を中心に食っていたおれに、母は洋食を中心にあつらえてくれた。

 

 しかし、母も週一度の休みには憔悴していたのだろう。茹でておしまいのスパゲッティーなことが多かった。それでもおれはうれしかった。スパゲッティーがだいすきだったからだ。

 

 毎回ほぼミートソースだったスパゲッティーの味が、一瞥してみると母だけちがうものだった。それがなにを隠そう、たらこスパゲッティーだったのだ。

 

 母はにべもなく「食うか」とたずねた。おれは「いらない」と云ったが、「食ってみろ。うまいぞ」と奨めるので、母の皿から肉叉をくるくると回転させて、ひとくちにほうり込んだ。咀嚼後、邂逅を果たしたおれに、矢庭に静寂がたちあがった。目を見開き、瞳孔を揺らしながらその寂寞の空気をやぶった。「うまい」と云うひとことだった。

 

 革命だった。後頭部をぶん殴られたような、という月並みな表現が吻合する衝撃で、鼻にバターのようなにおいがあった。頭がしばらくぼーっとした。南蛮の乾燥麺に我が邦の「たらこ」があうはずもない、そうおもっていたおれの、ちんけな経験による想像をみごとに破壊した。

 

 すべりこむようなオイルにまかせて、つぶつぶのたらこが口のなかで、乙女のようにおしとやかに、けれどもその﨟長けた存在感を塩味で主張していた。鼻腔にくゆるのはバターとすこしの海のにおいで、さらにそこに刻み海苔の風味がさざなみのように寄せては引いていく。かんぺきだとおもった。

 

 水曜日はアニメドラゴンボールの日だったのだが、その日はたらこスパゲッティーのせいで内容が毫もはいってこなかった。こんなにうまいものが世界に存在していいはずがないとおもったのだ。

 

 時系列を現代にもどそう。そうして、たらこスパゲッティーを食った息子を見て、たらこスパゲッティーとの邂逅をおもいだした。子どもを育てる、というのはこういう「二度目の人生」みたいなもので、あのときの鮮烈なたらこスパゲッティーのデビューが脳裡に蘇ったのだ。

 

 あの日から、おれはことあるごとにパスタ屋で「たらこスパゲッティー」を食っていた。人生の変革だった。そう、「カニクリームスパゲッティー」との邂逅を果たすまでは。