まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

じじいの見分けがつかない

 

 早暁。東の雲がオレンジに染まり、うすい透明な月が蒼穹にうかんでいる刻。息子と保育園にいく。先日、じてんしゃをふたり乗りして疾駆していると、往来にて、ひとりのじじいに声を掛けられた。

 

 「ようちゃん、おはよう!」と息子にあいさつするので保育園関係か、とすいそくした私は、とりあえず「あ、おはようございます」と息子の代弁をした。その後、数米すすんだのちに「あれは佐藤さんちのご主人ではなかったか」と思った。

 

 佐藤さん宅前はいつも保育園への通園路としてとおる。佐藤さんの奥さんはよくお見受けするので顔を知っている。六十がらみ、人口的な縮毛をほどこした蓬髪が特徴的で、はっきりとした二重まぶた。黒目がちに見える潤んだ瞳には、やさしげな光が宿っている。

 

 奥さんとはいつも邸宅のまえであいさつをするのでわかりやすい。しかし、ご主人は日課であろうさんぽをしに朝早くから出かけている。そんな途次に往来で声をかけられてもいったい誰なのか、皆目わからないのである。

 

 しかも、ご主人の風貌がこれまた完全なモブ的なものなので、ひじょうに判断がつきにくい。七十がらみ、禿頭、パイロットグラス型の眼鏡を装着、目じりからほほの肉が垂れ下がり、人相はゆるやかな温顔である。でっぷりと恰幅がよく、しみこんだ笑顔からは充実した老後が感ぜられる。

 

 私が銭をいただいている会社の上役にも、上記のような御仁がいらっしゃる。六十がらみ、禿頭、パイロットグラス型の眼鏡を装着、目じりからほほの肉が垂れ下がり、人相はゆるやかな温顔、でっぷりと恰幅が背広がよく似合う。しみこんだ笑顔からは充実した会社生活が感ぜられる。

 

 そういえば、私がおせわになっているお取引先さまの総務方にもおなじような御仁がいらっしゃる。六十がらみ、禿頭、パイロットグラス型の眼鏡を装着、目じりからほほの肉が垂れ下がり、人相はゆるやかな温顔、でっぷりと恰幅が背広がよく似合う。しみこんだ笑顔から温和な性格がにじみ出ている。

 

 じじいへの形容、悉皆おなじなのである。そういったわけでじじいの見分けがつかない。いや、見分けついてんじゃん、とお思いかもしれない。でもそれは衣服や場所、状況によってはんだんしている。ゆえに全員まとっている装束を解けば、ドラクエⅥのアモスと村の戦士とどうように、まったく一緒になってしまうくらいわからないのである。

 

 もちろんじじいにも種類がいる。その区別はつく。上記のじじいは「丸型」のじじいである。ということは「四角型」のじじいもいるし、「三角型」のじじいもいる。じじいはだいたい三パターンにわかれている。

 

 四角型のじじいはおもに堅い髪質をもっている。おもにそれを角刈りに刈り込み、角ばったりんかくとの平仄をあわせている。人生の苦味を知ったような皺が、額やホウレイ線に穿たれている。精悍な顔つき、といえばそうかもしれないが濃い眉のしたの眼窩には猜疑心でみち、いっぽうでどこか臆病な光もある。

 

 三角型のじじいは基本的に痩身で、どこか病的だ。肉がなく、骨と皮のあいだにかろうじて血脈が通じている。鶏のような首のうえに、ぎょろりとした目が恬然、血管が青白く血管ののびたおおきな鼻筋、持ち上げていないとおちてしまうような尖った口唇を設置している。ちいさな耳のしたにはのびきった耳たぶがだらり、とぶらさがっている。

 

 そういえばレアなケースだが、星型のアメリカンなじじいもいる。めんどうなので記載はさけるが代表的なのは内田裕也。

 

 いつかは私も見分けがつかないじじいになるのだろうか。星型だけは避けたいところである。みなさんはどんなじじいになりたいですか?