まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

ポテトサラダのサラダ詐欺について

 

 低糖質が叫ばれる時代のなか、ポテトサラダというのはサラダ詐欺だとおもう。サラダとはいっぱんてきに超ヘルシー、というふうなイメージ戦略をもってして消費者の購買意欲をかきたてているからだ。

 

 それなのにポテトサラダは、ちょっと見過ごすことのできない量の糖質を含有している。ほんとにサラダなの? と等閑視できない。これが「ポテトのマヨネーズ和え」というネーミングであればいまほど売れ行きは芳しくないだろう。

 

 だけどポテトサラダには、なんだか作為的な瞞着がないように思われる。「だますつもりはなかったんだ!」と言われればたぶんしんじてしまう。それはきっとポテトに野菜という十字架を背負わせてしまった人間の、その深い罪障のせいなのではないか、とおもう。

 

 ポテトを和名にすればじゃがいもである。じゃがいもは野菜のカテゴリーに属する。大地のパワーで育っているからである。大地のパワーで育つ野菜という認識のじゃがいもで生成されるがゆえに、ポテトサラダはサラダの部分にふくまれてしまっている。じゃがいももどうどうとサラダの顔をしている。おのれ自身を疑っていない。

 

 しかし、大地のパワーで育つものはすべて野菜に分類されるか、というとそうではない。それを証明するのが、そうご存知、米のそんざいである。

 

 日本皇国に住まうわれわれにとって米は主食たる穀物である。配膳される食事はきほん、主食、主菜、副菜の三パターンで成り立っており、そのフロントマンである米を「これはベジタブルですか?」と尋ねれば、「いいえ、ちがいます」という回答が九割を超えるであろう。

 

 むろん米は大地のパワーと雖も水田でそだつ。そう云うと「たんぼでできるものは野菜ではない」と峻烈な批判をしてくる御仁がおられるかもしれない。そのため、念のため記載するが、蓮根は水田でそだつ。ちなみに山葵も水田だ。これらは比較てき野菜野菜している認識であるとおもう。

 

 だからと云ってはなんだが、じゃがいもはほんとうに野菜なのだろうか。私はちがうとおもう。ミクロネシアの民族は芋を練ったものをバナナの葉かなにかに包み、蒸し焼きにし、それを主食としている。みたいなことをテレビでみたことがある。むろん私の経験談から云っても腹持ちのよいじゃがいもは主食であるべきだ、とおもう。

 

 畢竟。ポテトサラダがサラダ詐欺をしてしまうのは、ヒトがじゃがいもを「野菜コーナー」に陳列しているからではないだろうか。じゃがいももじぶん自身を野菜だと思い込んでいる。だからサラダの顔をしていても恥じない。それはだいたい農林水産省のせいだとおもう。じゃがいもに罪はないんだ。

 

 ちなみに。ほんとうに罪深いのはマカロニサラダとたまごサラダだとおもっている。やつらは自分が野菜ではないことを知っていながらにして「サラダ」を名乗っている。なんたる羊頭狗肉。とんでもない根性をしていますね。

 

 今日もポテトサラダはサラダの名を冠し、だれかをだましてしまっている。しかしそれはポテトサラダ自身も気がついていない。無辜なる罪である。いますぐ誰かがポテトサラダの肩に手をおき、「きみ、ほんとうはサラダじゃないんだよ」と言ってあげるべきなのかもしれない。