まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

自転車の鍵がこわれて世界の真理を理解した

 

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 自転車のふたりのりは法的に禁止されているが、合法的にふたりのりをするには子どもを産み、育てるのがベストであると思う。保育園の通園に自転車をふたりのりしているが、なんの警告も受けたことがない。

 

 今朝。子どもを保育園においてきた。而して駅まで自転車をひとりのりで運転、到着、自転車パーキングに留め、鍵をかうべきところで、運命の歯車は異音たてはじめた。鍵がかからないのである。

 

 自転車の鍵は、チャリ本体を購入後に付属してきたものであり、サドルというシート座面の下部あたり、後輪に錠がかかるように装着されている。その形状はアルファベットの「C」っぽいかんじであり、弧が途切れている部分から、レバーをおろすことによって鋼鉄製の錠が突出し、アルファベットの「O」型になって後輪を施錠する、というからくりになっている。

 

 この「C」のとぎれた部分からでてくる鋼鉄製の錠が、ほんらいなら橋渡し的にもういっぽうの「C」のとぎれた部分、その空洞へととなめらかにたどりつき、アタッチメントすべきなのだが、あろうことか、その対岸の空洞に挿入されることなく、数センチ数ミリメートルの齟齬が生じ、空洞の外へはずれてしまっているのであった。

 

 数ヶ月まえからこのありさまである。しかし、こういう場合の対処法を三十一年の年月を経て開発している。つまり、鍵のレバーを右手でおろしつつ、左手でチャリ本体を操作し、後輪をすこし動かすことによって鍵の齟齬を強制的に修正し、錠と空洞をうまくフィットさせ、施錠せしめるのである。ひとは学べるいきものですね。

 

 しかし、今回はその対応方法ではうまく鍵がかからなかった。つまり、上記のごとく膂力に頼った解決方法により、錠がさらに湾曲し、齟齬が拡大されてしまっていたのである。

 

 さらに問題点があった。ふつう、この錠をおろすレバー部分というのはプラスチックのポッチのようなものによってガードされており、施錠者がレバーをおろしやすいように、という鍵開発者側からの配慮がなされているのだが、我が自転車には、そのレバーのプラスチックのポッチの部分が幾ヶ月前から欠損しており、レバーはむきだしの狂気、その鋼鉄の肌をありありとみせつけている。そうなると、レバーに触れるこの親指に鋼鉄のレバーがくいこみ、指の痛覚が反応し、脳は「いたい」という感情の電気をながす。つまり、レバーで指が痛いのである。

 

 何度トライしても錠はかからない。指はいたいし、電車のじかんはせまっている。なんて強情な鍵なんだ。そうおもった。そうおもったとき、ひとつの疑念が裡から湧いた。ほんとうに強情なのは、おれ自身…? じゃないのか?

 

 私は鍵をかけたい。それはこの自転車が盗難されないためである。むろんこれは私が買った私の所有物である。私が買ったんだから、私のものだ。だれも盗むな。その気持ちはわかるが、ほんとうにこの自転車を盗むようなひとはいるのだろうか。

 

 つまり私は強情にも「だれかがこの自転車を盗む」とおもいつづけている。自転車自体の施錠ができずとも、パーキングの施錠はかかっている。百円硬貨を投入しなければ自転車は開錠されない。櫛比する自転車の波をよりわけて、鍵のかかっていない自転車をリサーチし、そのうえでパーキングの番号を記憶し、自転車防犯登録がしてあるにもかかわらず、子ども乗せようの籠が搭載された自転車を、盗みの罪を背負ってまでほしいとおもうのだろうか。

 

 そんな人いないだろう。いるかもしれないが、そこまで欲しいのならば呉れてやったほうがいいんじゃないのか。ってゆうか、つまり強情なのは私だったんだ。自転車の鍵をかけることに拘泥し、我執し、妄執し、じぶんのルールに縛られて、ちいさな世界で生きている。なんておろかないきものなんだろうか。

 

 おもえばこうして自転車にのってきたことすらも強情ではないか。車輪のパワーを利用することにより、目的地にはやくつくことができると思っている。なぜ、はやく目的地につきたいのか、というと強情にもはやく会社に行かなければ、とおもっているからだ。

 

 会社にいかなければいけない。私は強情にもその理念にとらわれている。ほんとうの気持ちを言ってごらんよ。あぁ、息子と遊んでいたい。ってゆうか遊んで暮らしたい。そうなんだ。息子を保育園にあずけることも、自身の強情な気持ちによって傀儡のように自分自身によってあやつられているのではないか。

 

 遊んで暮らす。それにはまずこの強情な自分自身というものを滅さなければならない。そのためには自転車の鍵なんかにこだわっている場合ではない。もっとこう、おおきな、フリーな世界で生きていこうぜ。そうおもった矢庭に、自転車の鍵はすっと施錠され、のるべき電車の時間に間に合った。神さま、私が自由に生きるのは「まだはやい」ということですか。