まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

ただ真実が知りたかっただけなんだ

 

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 昨晩。帰りの電車内がくさかった。経験的に、あ、これは足のくさいニオイだな、とおもった。すさまじい瘴気だった。世界を蹂躙していた。あまりのくささにちょっと死んじゃうかとおもった。「バイオテロです! この電車をとめてください!」。JRにほうこくしようかとおもった。

 

 そのむねを帰って妻に報告した。「犯人さがしたくなるよね!」と云っていた。なぜだかえらい笑っていた。おれが瘴気にむせんでいたことがそんなにおもしろいのか。まったく飄然なおんなである。

 

 でも、たしかにそのとおりだ、とおもった。おれは車内でニオイがたちこめたとき、短兵急に足のくさい人間を鵜の目鷹の目になってさがしていたのである。デジタルな[ ]← こういうマークが眼前に浮かび、鼻のセンサーとともに、にんげんいっぴきいっぴきの足元をppppp…と、リサーチしていた。

 

 どうしてひとは、くささの根源を発見したくなるのだろうか。屁もそうである。拙宅は家事もほとんどフリー制、テーマは「放埓」である。だがしかし、ゆいいつのルールがある。それは「放屁をおこなったさい手を挙げる」というものだ。

 

 このルールにより、臭気が鼻腔を突き抜けるまえに避難することが可能になった。また三歳児はまだトイレでうんちができないので、わざわざ「ようたくん、うんちした?」と無辜なるキッズに疑惑を向けずにすむ。

 

 ひとは「はっきりさせたい」いきものなのかな、とおもった。とくにニオイというのは目には見えぬがたしかにそこにある。嗅覚が反応しているのである。このニオイをあばきたい。人類としてのカルマ、必定の感覚であった。

 

 電車のなか、おれがまず一も二もなくうたぐったのは、私の正面に着座していたアングロサクソン系のニーチャンであった。

 

 人種差別だ! と峻険な批判を覚悟でいうが、異邦人というのはくさい。というか、おれの肌に合わぬニオイをはなっている。アメリカ人は香水のニオイが激烈であるし、中国人はPM2.5みたいな中国のにおいがする。インド人はやっぱりスパイシー。まぁ、日本人も異邦人からしたら醤油のニオイがするらしいですけどね。

 

 なにより、アングロサクソニアンは土足文明のため、下足を履きっぱなしであることがおおい。人体の分泌物が、靴の内部で発酵している。そうおもった。ゆえにおれは「こいつがテロリストだ」とおもった。ほうこくすべきはJRではなくFBIだったのかもしれない。そして、アングロサクソンのニーチャンは次の駅で降りていった。

 

 これで世界が清浄にもどる。あの青くうつくしい地球にもどる。そうおもった。しかし、ドアーがしまった矢庭に、またあの瘴気が立ち込めたのである。つまり、あのアングロサクソンのニーチャンは冤罪だったのだ。

 

 おれはかつてクロノトリガーというゲームで学んだはずだった。本質を見た目で判断してはいけない。ラヴォスのコアは真ん中じゃない。私が根源だとおもっていたそれは、ただの傀儡にすぎなかった。

 

 真実は闇に溶けて消えていった。おれの知的好奇心、にんげんがにんげんたる知への底知れぬ欲求、それらは充たされぬまま、おれは電車をおりた。ただ真理への飢渇だけがのこった。

 

 ひどくさびしい夜になった。こころに曠野がひろがっていた。あのニオイはいったいだれがはなったものだったのか。あんなに臭くなるまでどうして気がつかなかったのか。なにか対策ができなかったのか。おれは誰も救えなかった。なんて無力なんだ。

 

 でも、電車のなか、ニオイの発生源を特定したところで「あら、きみの足はくさいですね」なんて言えない。そんな忌諱に触れることはできない。相手が狂人だったばあい、それこそちょっと死んじゃうかもしれない。でも、それでもおれは、ただ真実が知りたかっただけなんだ。