まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

着替えは靴下からはじめる。それも右足から。靴も右から履く。毎朝おなじことをしないと気が狂う。

 

 ちいさな幸せをだいじにしている。判で押したような生活、そんなふうな形容がぴしゃりと吻合する。でも、それでよいのだとおもう。

 

 しかし、世上万般すべてがオッケーオッケー、ってぐあいにはいかない。ときとしてトラブルが襲い掛かり、そんなできごとに人は疲弊し、疲弊は精神の毒素となり、なんとかデトックスしても、澱となったそれは腹のそこに蓄積し、発狂して、結果、死ぬ。

 

 そうならないために、とても肝心なのは、やはり、一日のスタートではないかな、とおもう。おもうがゆえに、その一日のスタートは敢為の心をもって、毎日おなじ動作、リズム、呼吸で行おう、と決めている。

 

 タイトルにも書いたが、着替えはまず靴下から、と決めている。しかも右。たとえ拙宅の三歳児が「ぱぱ、おきがえ、はい、どうぞ」とワイシャツを手渡して呉れたとしても、「ありがとう」と一言添え、心を無にしてからワイシャツは投げ捨て、靴下をまず履く。

 

 この右から、というのがポイントであって、仮に、なんの因果か間違いか、左から履いてしまったばあい、やりなおしをする。左に装着した靴を脱し、もういちど框にあがってから右の靴を履く。

 

 私のなかには、なにか「目に見えないものへの畏怖」みたいなものがある。病気だ、とおもわないでほしい。これは一種のゲン担ぎなのである。私のバイオリズム、というか世界のバイオリズム、大いなる流れ、みたいなものが周囲に渦巻いているんじゃないかな、とおもっている。

 

 その流れに唯々諾々と従うことが、不幸を回避するゆいいつの手段なのではないか、とおもっている。つまり、靴を左足から履く、ということは、私の中でこの大いなる世界の流れに逆らう、ということになる。

 

 その流れに逆らうということは、世界の異物となる、みたいなことになり、何気ない毎日の、痛みをともなう「ささくれ」を発生させるターニングポイントになるのではないか、という恐怖が私の精神に巨樹となって根付いている。

 

 そういうゲン担ぎが、まだまだたくさんある。もうひとつ例をだせば、朝、イギリスの音楽を聴かない、ということがある。

 

 私は好みとして、アメリカのロックよりはイギリスのロックが好きなのだが、イギリスの音楽というのはなんとなく鬱屈している。ポップであってもどことなく偏屈であったり、そのサウンドに霧が重なったような晦冥ぐあいがある。その暗さが精神によくない運動をしているようだ。ジョイディビジョンなんか聴いたらたぶんマジで死ぬ。大好きなXTCも夜にしか聴けない。

 

 この間、スマホの誤操作により、ヴァクシーンズというイギリスの音楽が流れてしまったのだが、その日、仕事で予期せぬトラブルが起きた。私のチームの一員がクライアントからあずかったカードキーを紛失したのである。ほらね、やっぱり。

 

 そういう自分の力では及ばないミス、みたいなものは、こういったゲン担ぎををしないとやってくる。そんな不幸に見舞われて、私の精神は破綻し、気が狂う。超こわい。

 

 こうして私は束縛された毎日を生きている。みずから課したものである。それは幸せになるためではなく、不幸にならぬためのゲン担ぎである。攻めのゲン担ぎではなく、守りのゲン担ぎ。でもそれは、いま現在、僥倖このうえない生活を送ることができているから、みたいなことでもあるのだが。

WHAT DID YOU EXPECT FR

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今週のお題「ゲン担ぎ」