まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

ラジコンするならスネ夫マインドを持つべし

 

 三歳児にラジコンを購入した。モンスタートラックのそれである。それを拙宅まえ、七分の一の所有権を有する私道にて操作していたのだが、おれはもういっそのことスネ夫になりたい、とおもった。

 

 スネ夫とは、ドラえもんに登場する架空のじんぶつである。スネ夫は、千金の子は市に死せず、みたいなぐあいに財力を振りかざすことがままにある。その財力の象徴としてラジコンがでてくる。

 

 陋屋まえで遊戯していると、同年代の子どもたちがわらわらと出てくる。そうしてよくみんなでおたわむれになる。だれかがなにか新しいアイテムなどを持っているばあい、「それを拝借したい」みたいな空気になる。

 

 そうなると「貸してやりなさい」というふうに指導をいれずんば、親としてのありかたを疑われる。だからそう言うのだが、ラジコンにはバッテリーのもんだいもあり、他人にしようされると稼働時間が減る。吝嗇だとわらってくれてかまわない。

 

 こういうとき、スネ夫ならば、「おまえには貸してやんないよ」と言う。じぶんの気持ちに嘘をつかない。だが、これはまったくもって不遜な精神だとおもう。和よりも個を重んじ、いっぽうで暴力的権威をもつジャイアンにはおもねる。

 

 平成の世を生き抜くには、そういった寄らば大樹の陰スタンスはだいじだとおもう。しかし、近所で無駄なあつれきを生み出さないためにも、おれはスネ夫になりきれない。駄目なんだ、できないんだ。おれはおれの息子がいちばん大事だが、そうはできない。やはり家庭の幸福は諸悪の根源なのか。

 

 自宅まえではちょっとめんどうだな、と判じたのでちかくの公園に行った。自転車にのって。ゴー! ゴー! と白々しい元気をだした。嘘のような太虚が眼前にひろがっていた。

 

 休日の公園はそこそこに殷賑としていた。よって、その場所でラジコンをする、ということはひとびとの羨望のまなざしに晒される、ということになる。おれは「持って来てはいけないものを持って来てしまった」とおもった。

 

 こういうときスネ夫は「きもちいい!」と感じるのだろう。現代における階級制度は、所有している物品により与えられる。眷属の経済力をかさに着て、庶民との格差を剥き出しにする。その差にスネ夫の脳はアドレナリンをどばどば噴出させ、一種の快感をもたらしめる。資本主義の鬼だ。

 

 おれはそうはなれない。所詮は貧乏人であり、しいたげられてきた人生だからだ。ちなみに、ラジコンはけっして高額なものではない。アマゾンで三千円程度のものだ。しかし、三歳児には高額な玩具だろう。

 

 おれはスネ夫マインドの強さを知った。というか打ちひしがれた。ああいうふうに生きていければ、どれほどすてきなことだろう。なんとなく周りの目がこわくなったので、公園のパーゴラでちいさく遊んだ。冬の風は、まだ厳しさを残していた。

 

 なんだか身分不相応なものを購入してしまったな、と反省した。しかしその帰り、息子は「モンスタートラック、たのしかったね」と言っていた。救われた気がした。往路では気がつかなかった好文木が、春の光のなかで可憐にゆれていた。

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