まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

CDアルバムの曲順って大きなくくりのアンサンブルだよな

 

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 アルバムを聴かなくなっている、みたいなニュースを見た。

 

アルバムの時代の終焉、アップルも「LPサービス」を停止へ | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

 

 たぶん今の音楽の聴き方が、耳栓方式でスマホ操作 × いろいろなスタイルの音楽が充足しているから、なんじゃないかな、なんておもう。

 

 いいよね。そういうの。イヤホンやヘッドフォンだと明瞭に音が聴こえるし、迫力もあるし、近所迷惑にならないし、いろんなバンドの好きな曲ばかりをたくさん聴ける。音楽って四分間でインスタントに感動できるコンテンツだから、好きな曲だけ聴くことによって容易にグッと来て気晴らし、憂さを発散できるんじゃないかな。超いい時代ですよね。

 

 じゃあアルバムなんかいらないんじゃん、ってゆうと、そうだとおもう。もうアルバムなんかいらない。これだけ音楽が、そのジャンルが、時代が求めている曲が横溢していて、リスナーを感動させる定石が確立していて、サビ前ブレイク、アウフタクトのメロディを追従するドカーン! とした爆発力のある演奏。ラストのサビは半テンさせて主旋律もフェイクをいれまくって、よりエモく! もっとエモく! 超エモく! みたいなの。

 

 うおぉ! かっけぇ! 鳥肌が! みのる! つって、気がつくと、ほら。おなじようなキラーチューンの澎湃になっている。

 

 でもやっぱこういうキラーチューンはおのおののバンドに必要だし、清廉潔白ピュアなエンタメたるライブが主体となった音楽業界では、ライブにおいて盛り上がることが必定な「伝家の宝刀」は常用しつつ、その刃を鈍らせないようにすべきだとおもう。おれはね。

 

 じゃあ各バンドの個性はどこにあるんじゃい、ってなもんであるが、それはやっぱりアルバム曲だとおもう。

 

 アルバム曲にはそのバンドが「いまやりたいこと」みたいな実験的精神があったり、音楽の文化的遺伝子が根付いていたり、葉脈のように派生したプレイヤーの妙技が個々に光っているようにおもう。それはキラーチューンにははじかれてしまう異物感だったりする。

 

 おれは、バンドの個性はアンサンブルにある、とおもっている。あたりまえだよ? おれはロックみたいな音楽が好きなので、各楽器の個性がひしめきあう、せめぎあう、ペッティングしあうような、そんな重奏がかっこいいバンドを聴くと、お! いいバンドだな! ひとつの生命体のようである! 好きよ。とおもう。

 

 アンサンブル、ってのを広義に俯瞰して観ると、おれはアルバムの曲順ってアンサンブルのようなものだなぁ、とかんじることがある。

 

 アルバム曲を含有するアルバムの曲順って、各バンドが持つ「こうしたい!」、「この順で聴いてほしい! 」、「こう来て、こう来るとかっこいい!」みたいな傲慢さの権化であって、もうそういうのバンドの芯を掴むような感覚があって、ゾクゾクしちゃう。

 

 阿諛追従しない「おれの歌を聴け!」的熱気バサラふうの命令系はとてもよい。でもバンドが「アルバムをちゃんと全部聴いてくれ」なんて懇願するのはなんかだせぇ。音楽の聴きかたなんて自由じゃん。天邪鬼ですね。

 

 そういう時代じゃないけれど、おれはとりあえずアルバムはぜんたいで聴きたいタイプかな。数曲のキラーチューンでバンドを判断できるほど感覚はするどくないし、それに、まだ音楽にたくさんの時間を無駄にしていたい。それが好い聴き方だ、ともおもわないけれど。

 

 そいでバンドの核にふれるようなアンサンブルを聴いて、醸成する世界観を聴いて「これはよいバンド」、「これはクソバンドだ」って判別してリスナーとしての心の優位性を保っているのかも。まぁ好いアルバムでもクソなものは、クソだな! つって飛ばすけど。好い曲つくれよ。