まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

豆腐班長

 拙宅にはときおり、豆腐班長という班長がしゅつげんする。今朝方もそうだった。みそ汁の生成をはじめようとしたところ、たちどころに豆腐班長がしゅつげんした。

 

 そのすがたが見えると、われわれ夫婦は背筋をのばし敬礼でこたえる。豆腐班長はやわらかい物腰をもっていて、ちょっと頼りなさげである。だが同時にどこかつめたい感触をもっている。そんな班長のもつ陰陽あわさった独特のオーラが、いつもわれわれを緊張せしめる。空気がひんやりとする。

 

 かれの白皙に大きな傷がある。刀傷である。とても目に付く傷で、私はどうしても目を注いでしまう。この視線に痛んだのか、班長は「あ、これかい」と傷をなでて云った。

 

「すこし昔話をしよう」

 

 そう云って班長は、だれも知らなかったその過去を、訥々と語りだした。

 

 班長はもともとひとつの庁にあった。ふるくからつづく庁であり、その歴史は鎌倉時代までにのぼるという。その庁で班長は、もうひとりの班長とともにこの国の食文化に貢献していたと云う。

 

 ふたりの班長は庶民に親しまれていた。柔軟で応用力のあるかれらの態度は、時代のひとびとに歓迎された。夕刻、ひとたびラッパを鳴らせばひとが群がった。ただそれは彼らのその態度だけが愛されていたのではなかった。

 

 庶民はみな知っていた。班長たちが太陽よりもさきに目覚め、二番鶏の鳴く青白い朝のなか、この国のためにかかさず修練をつんでいることを。そんな班長たちの懸命な姿勢を、生き方を、すべてを、庶民はみな、愛していた。

 

 しかし、それが時の庁長の癪にさわった。庁長はまさしく庁の主たるべきひとである。すべての権限はこのひとにある。しかし傲岸な庁長のなすことは、すべて庶民にきらわれた。ときに英断とおもわれることでさえもバッシングをくらった。世の中やはり好感度というものがだいじですね。

 

 その度、もんだいを解決するのはいつも班長たちふたりだった。班長たちが采配をとれば民草はしたがった。それもまた庁長の腹を煮やした。

 

 ゆえに庁長は姦計を謀った。密偵をさしむけ、班長と班長のあいだに悪いうわさを流し、分断をはかった。同時に班長たちの間に大班長、小班長の位をもうけ、主従の関係を至らしめた。むろん禄高もかわった。そうしておたがい蟠りをいだいた班長ズは、みごとに分派した。

 

 その結果、内部抗争が勃発。庁の瓦解はじかんのもんだいだった。庁が機能しなくなれば、この国の民は貧にあえぐ。ってゆうかめっちゃあえいだ。飢饉だった。庁長はその始末として、ふたりの班長に果し合いを命じた。むろん負けたほうは庁外追放である。

 

 そして運命を分かつ日。コロシアムはオーディエンスで埋め尽くされた。「殺せー!!」「やっちまえー!!」そのボルテージは最高潮であった。あんなに愛されたふたりだったのに。飛鳥尽きて良弓蔵る、というやつですか。ひどいものです。

 

   その地下。班長は刀剣を手におさめ、心臓の音だけがたかく響くのを聞いた。

 

「どうすればいいんだ」

 

 班長にはまだ迷いがあった。あの班長には産まれたばかりの子がいる。

 

「名付け親になってくれよ」

 

 そんな依頼をうけ、たくさんの書籍やインターネットを参照して、姓名判断のけっか「大豆」と名付けた子だった。愛らしい豆のような子だ。あの子のために、いまの生活を手放すわけにはいかないだろう。迷いのなか、戦いのドラムが鳴った。

 

 重苦しい鉄格子があがった。班長は白い砂の闘技場にとびだした。客席から万雷の拍手が降ってくる。好く晴れた日だった。天の光が砂に反射してまぶしかった。むこうがわに班長が、八相に、構えていた。

 

 間合いをつめ一衣帯水。さいしょに仕掛けたのは、____班長だった。

 

 一颯、二颯。刀剣が鈍く虚空を斬った。三の太刀。班長はうけとめた。火花が散った。押し合い、飛びのいた。それからは丁々発止。オーディエンスは唸った。力は互角。それでも閃きはおたがいの身体髪膚をかすめ、そのたびに血が舞った。

 

 勝負は平行線だった。煮え切らない庁長は下僕に合図をだした。すると闘技場の床が砂をこぼしながら、がらがらと上がった。暗闇から鎖につながれた虎がのどをならしながら現れた。飢えた目で中央の班長たちをねめつけている。四方に四頭。牙爪はするどく、ぬれぬれと光っている。

 

 虎に囲まれ、錚然と剣を鳴らした。一歩でも退けば虎の胃袋に落ちる。鍔をせりあい、おたがいの吐息がかかる距離まで詰めた。

 

 そのとき、ふいに班長のくちびるがうごいた。なにかを云った。瞬間、班長のからだは崩れた。班長はそのすきを見逃さなかった。というよりも、戦士の血がからだを動かした。上段から振り下ろした剣が、班長の頬から胴を袈裟懸けに斬った。

 

「俺はぜんぶ知っていたんだ」

 

 班長は云う。傷に触れながら、とおくを見つめている。この班長はすべてを知っていた。庁長の陰謀だったことも知っていた。その上で班長に斬られた。庁長の権謀術数を露見させれば、ともに庁外追放される。班長の嬰児を抱いたあの重さが、うでに残っていた。

 

 そのあとのことは歴史の教科書でしっている。庁はひとりの班長では立ち行くことができずに崩壊。庁長はなぞの死を遂げ、まずしくなった国民は暴徒と化し、この国を混乱に陥れた。

 

 それでも残された班長は懸命に働いた。しかし豆腐に鎹であった。班長は責任をとって辞任。人煙まれな里で家族と暮らし、昨年の冬に歿した。六十二歳だった。

 

   後の政府は、その僥倖ともいえる対外政策によってこの国はなんとか身を持ち直した。

 

「どうしてそんなことを私に?」

 

 純然たる疑問であった。

 

「あいつに似てるからさ」

 

 班長はそう云った。その答えは、私自身がもっともよく知っていた。

 

 水を打ったような静けさがすこしつづいた。

 

「もう行く時間だ。ながながと話しすぎた」

 

 班長が蹶然とたちあがった。

 

「おからだにきをつけて」

 

 わたしはそう云うことしかできなかった。

 

  班長を見送ると、

 

「あなた、アズキが泣いてる。ちょっとお鍋見てて!」

 

  妻からそう云われた。わたしはコンロの前に立った。おかしな名前だろうか。私の名前からとって、娘をあずきにした。

 

   班長にはもう会えない気がする。そんなことを考えながら、水もたまらず豆腐を半丁に切った。今日のみそ汁は熱くてしょっぱかった。