まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

ニュースとか見てさいきん思ったこと

 

 ボードレールというフランス人が、「人間の超罪深いぶぶんって倦怠だよね」なんていっていたが、ははは、一理あるなぁシャルル。やるね! とそこそこ感嘆する。

 

 しかし、頃日。おれはそうおもわない。なぜなら倦怠は人畜無害であるからだ。倦怠により行動しない。アクションをおこさない。自然のまま、風解、潮解して死ぬ。なーんもしないでいいんじゃない? 楽だし。ってなんだかちょっとエピクロス的じゃん。

 

 じゃあいちばん罪深くてやべぇのはなにか、というと、おれは焦燥だとおもう。焦りがいちばんやばい。なんだか昨今のニュースを、ってゆうか急騰する話題をみているとそうおもう。

 

「こうしなきゃいけない」とか「勝たなきゃいけない」とか「指示に従わなきゃいけない」とか、もうほんと資本主義だし、物質世界的だし、でもだからといって苟且偸安、逃げていいんだよ? もう全部やめちゃお? 自分がだいじだよ? なんつっていたら社会の異物として排斥されてしまう。つれぇぜ。

 

 社会や文化、空気感というものに染まっているゆえか、われわれはなんかしらんけど、いつも「ぜんたい」というものを意識しているとおもう。おれは個人的に交通事故がおこる理由とは、この「ぜんたい」をよく循環させよう、という義務感からおこるんじゃないか、なんておもったりする。

 

 事故だけじゃない。自殺するのだって、世の中の「ぜんたい」という脅迫的な正しい生き方から逸れてしまったためだからなんだとおもう。軌道修正しなきゃいけない、でもできない、どうしよう、みたいな。まぁそれだけじゃないだろうけど、そういう理由もあるとおもう。

 

「ぜんたい」を意識するあまり義務感にさいなまれる。その義務感を体内に回らしめるのは焦燥なんじゃないか。身のうちに巣食うその焦燥が血の管にかみつき、毒素は義務感になって「こうしなきゃいけない」という幻覚を誘う。そしてひとは冷静な判断を欠き、自分自身を滅亡させてしまう。

 

 だからこの焦りに負けないことが、現代社会を生きるうえでひつようだとおもう。偏差値の高い大学をでたのに「ニートしてます」みたいなひとは、この焦りに打ち勝ったひとなのだとおもう。そういうひとはたぶん、秩序のない自然発生した列などを横入りしても罪悪感を覚えず、「あ、すんません」なんつって生きていけるのだとおもう。最強人類。すてきやね。

 

 そういった久遠実成に気がついてしまった。そんなおれはちょっと釈迦。もう「ぜんたい」を意識して生きるのはやめよう。義務感なんて幻想だ。人間社会なんて幻覚だ。あせってはいけない。「こうしなきゃいけない」ってのは身を滅ぼす思想だ。育児とかもそう。理想的な育児論なんてクソくらえだ。トイレだってそう。うんこはトイレでしなきゃいけないなんて幻想だ。今後はもう矢庭に漏らす。「ぜんたい」とか人間社会とか義務感なんてクソくらえだ。

 

悪の華 (新潮文庫)

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