まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

横山健と生形真一

 今月のギターマガジンが熱かった。熱すぎて熱中症を発症した。うそである。でもギタマガが熱いのはマジ。なぜならば横山健と生形真一の対談であったからだ。

 

 じつはこのふたりおたがいのシグネチャーを所有している。というか、まず健さんが生形シグネチャーの355を購入したらしい。箱物をてにいれた横山健のプレイはすこしロックンロール寄りになった気がする。それを風のたよりにしたウブさんも横山健シグネチャーのケニーファルコンを試し弾き、それを購入したという。おれはごく自然に「おぉおぉぉお」と声を洩らした。

 

 エルレガーデンというバンドに触発された現バンドマンはおおいだろう。しかし、それ以前にバンド界に多大な影響をあたえたのはハイスタンダードである。これはまちがいない。いわば伝説的(この形容はパンクロックバンドにふさわしくないが)バンドのギタリストによる対談なのである。

 

 しかし、そんな伝説級とかいうのはどうでもよい。おれは個人的にこのふたりのギタリストが大好きなのである。横山健にかんしては、ある種おれの思想を形成しているといっても過言ではない。生形真一は平成のジョニーマーだとおもっている。ジョニーマーはまだ生きているが。

 

 誌面で、横山健は「ウブにはギタリストとしての責任をかんじる」と言う。おれもそうおもう。横山氏も言っているがエルレガーデンというバンドと、ナッシングスではギタープレイがぜんぜんちがうのである。

 

 おれはNCISを聴くと、「生形、エルレではギター手ぇ抜いてたんじゃねぇの」なんておもってしまう。これは間違いである。罰が当たるぜ。生形くんはどのバンドでもギタリストとしての役目を果たそうとしているのである。

 

 ギターというのは主役にならない。たまになるけど、歌ものの主役は歌である。エルレガーデンというバンドで彼はつねに細美というエルレガーデンの核をどう活かすべきかということしか考えていなかった。ギターという装飾物にたいする真理である。

 

 横山健もいっていたが、エルレのときの生形真一は目立つようなギタリストではなかった。おれも「エルレのギター」くらいにしかおもっていなかった。しかし、そのギタリストとしての責任感の実体を如実にしたのがナッシングスカーブドインストーンというバンドなのである。奇しくも、ぶっちゃけエルレは生形くんのギター思想を露見させるための複線になってしまったのである。

 

 このふたりの対談のなにが熱いのか、というポイントは、このふたりのギタリストが対照的である、ということである。生形氏の責任感とは逆に、横山健というひとのギターには独特の「横山健」感が宿っている。前文と自家撞着するが、横山健のギターは主役になってしまうのである。

 

 むろんそれは、ハイスタというバンドのソングライティングを横山健自身がしている、ハイスタがスリーピースという事由もあるだろう。しかしそう単純なことではない気がする。

 

 余談と悪口になるが、バンドに天才は二名まで、と相場がきまっている。ハイスタのばあいは横山健とドラムの恒岡章である。難波氏のことは好きであるが、ふたりにくらべれば庸列だ。いうまでもなくエルレの天才は細美と生形。ベースとドラムは正直だれでもよいだろう。だが、この天才二名という定員数にたいして、これくらいの凡庸さがちょうどよいのかもしれない。

 

 ハイスタはただのパンクロックバンドではない。いわゆるメロコアというジャンルを日本で成立させてしまったが、その本質はマジな意味でのオルタナティブである。ファーストアルバムの「ラストオブサニーデイ」なんてもうメタル、ハードロック、パンクロック、さまざまな音楽ジャンルが混淆してカオスしてあたらしい音楽になっている。

 

 そうして劫を経てハイスタは研鑽していき、メイキングザロードをつくり、ってゆうか自主制作という航海のなかで、その頭角を日本の音楽シーンにあらわしたのだけれど、そんなことはどうでもよくて、横山健のギターというか、ハイスタの音楽はメンバーの「個」の主張が烈しいとおもう。

 

 各楽器には役割がある。ドラムはリズム。ベースは音程感とリズム。ギターは上モノってゆうか装飾。みたいな。しかし、ハイスタのドラム、恒岡章というひとのドラムは、ドラマーに訊けばわかるとおもうが、すんごくタイトで鋭い。ふつうにエイトビートを叩いていても「恒岡」感がでてしまう。タイム感じたいは後ろ目のひとだとおもうのだけれど、そのわりに刀匠が打ちつけた国宝級の日本刀のような切れ味がある。

 

 どうじに横山健というひとのギターにもそういうふうな「個」がある。誌面で生形氏も言っていたが「健さんはなにを弾いても健さんになる」というそれである。手癖がある、とかそういう意味ではない。音作りなのかなー? とおもうが、そうでもない気がする。だってただのバッキングにも横山健感でるんだぜ?

 

 そういう名伏しがたい「なにか」をもっているギタリストがおれは超好き。ナッシングスやその他のギタリストとしての八面六臂の活躍を耳にしたあとで聴くエルレガーデンには、生形氏のそういうぶぶんがトレーシングペーパーを光にかざしたように見える。ただそれは「ギタリスト」としてのものであって、横山健のプレイにおける「個人」のそれではない。

 

 このふたりはそういう不思議な「なにか」が通底しているのだが、上記のぶぶんで正反対だ。どちらが好いとか悪いとかはない。ってゆうかどっちも偉大なギタリストである。ロックに「偉大」という形容はだせぇけど。

 

 おたがいのギタリストとしての信条というか、おたがいがおたがいをどうおもっていたのか、などが記載されていて、とてもいい記事だった。ユーチューブに公式のそれがあったのでリンクしておく。横山健が生形の要塞のような足元を閲し、さらにその使用方法がわからない、という点も彼らの対照的なギタリストとしてのメルクマールであろう。

 

【Special Talk Session】横山健 × 生形真一|ギター・マガジン2018年8月号 - YouTube

 

 さいきんのギタマガは熱いものがおおい。ってゆうか雑誌という刹那的なコンテンツではなく、永久的な保存版のコンテンツを企図しているようにかんじる。毎月購入したいが、日々貧乏をしている子持ちのサラリーマンにはつらいものがあるので熱い企画ばかりするのはやめてほしい。